著者 こむらまこと
  • なし
# 4

〈一〉 後編

「これが、龍宮城……」
 少し和風が入った中華風の屋敷を、水晶が目を丸くして見上げている。
「このお屋敷の中に、横浜港の龍神・蘇芳様が住まわれているのですね。ご挨拶に伺わなくても大丈夫なのですか?」
「それについては心配ない。会いに来るだけなら、いちいち報告しなくて良いって言われてるから」
 明は龍宮城の門の前で、キョロキョロと辺りを見回した。
「屋敷の裏側にでも行ってるのかな……ちょっと探してみるか」
 そう呟きながら、塀に沿って歩き出そうとした時だった。
「きゅいーーーっ !」
 背後から、何かの鳴き声が近づいてくる。
「っ!」
 振り向いた明と水晶の目に飛び込んできたのは。
八重桜やえざくら!」
 明は破顔して、八つの頭を持つウツボの妖に駆け寄った。
「ぐるるるる……」
「分かった、分かったから」
 しきりに顔を擦り寄せてくる八頭ウツボをどうにか宥めて引き離すと、明は水晶に向き直った。
「紹介するよ。こいつが八重桜だ」
「きゅい!」
 八重桜は水晶には見向きもせず、明の隣で嬉しそうに喉を鳴らしている。
 数ヶ月前、龍神・蘇芳が明に試練として課した怪異退治の相手が、この八つの頭を持つウツボだった。明の独断により退治を免れたこのウツボは、蘇芳により「八重桜」の名を与えられた上で龍宮城の門番に任じられた。といっても、龍宮城を襲撃する怪異や妖など存在するはずもなく、餌を取ったり遊んだりして日がな一日のんびり過ごしているらしい。
 そんなわけで明は、命を助けた者の責任として八重桜の様子を時々見に来ているというわけである。
(我が主にあんなにもベタベタと……恩を感じているとはいえ、馴れ馴れしいにも程があるんじゃないの)
 明に顎の下を撫でてもらって気持ちよさそうな八重桜を、水晶は複雑な気持ちで眺めている。
(でも、名前を付けたのは我が主じゃないのね)
 水晶は、その事実に安堵を感じる。
 それから、何故その事実に安堵するのだろうかと疑問に思う。
「水晶、おまたせ」
 しかし、生まれてまだ日の浅い式神の少女には、その感情の正体を掴み取るのは難しかった。
「少し早いけど、北斗さんの忠告もあるし、いつ〈門〉が現れてもすぐに通れるように待機しておこう」
 切なそうに自分を見つめる八重桜に手を振る明を見て、再び安堵を感じる水晶。
 そうして八重桜に別れを告げて、龍宮城に背を向けようとしたふたりだったが、そうは問屋が卸さなかった。
「菊池様」
「うっ……」
 突如として背後に現れた気配に、明は歩みを止めてそろそろと振り返る。
 そこにいたのは、ニコニコ笑顔を浮かべたひとりの老女。白髪混じりの濃緑色の髪は肩より短く、小さな顔の横でふんわりと揺れている。その身に纏うのは、優美かつゆったりとしたデザインのいかにも女官といった服装で、袖は完全に腕を隠すほどの長さがあった。
 彼女の名は、潮路。数百年を生きるアオウミガメの大妖であり、龍神・蘇芳の側近を務めている。
「……お久しぶりです、潮路さん」
 無視するわけにもいかず、明は仕方なく潮路と向かい合う。
 そんな明の心境を知ってか知らずか、潮路はニコニコ笑顔のまま片方の袖を上げて、龍宮城の門を示した。
「どうぞ、龍宮城へ。蘇芳様がお招きです」
「あ、あのっ」
 明は必死で頭を回転させて、どうにか上手い断り文句を捻り出そうとする。
「その、手土産がありませんし、このような服装で接見するのは失礼にあたるかと」
 明は今、海異対の夏用の制服を着て、腰巻式のライフジャケットを装着していた。また、必要ないと判断したため、マントは職場の個人ロッカーの中に置いてきている。蘇芳への手土産が無いというのも事実だった。
 しかし、潮路は頑として譲らなかった。
「そのようなこと、お気になさらず。菊池様は、我らが龍神が手ずから宝具を授けられた特別なお方です。どうぞ、ご遠慮なくお入りくださいませ」
 物腰は柔らかく言葉遣いも丁寧だが、その笑顔の裏には有無を言わせぬ迫力のようなものを感じさせる。
 明は、やむなく観念することにした。
(まあ、今日は急ぎの仕事は無いし、さすがに室長も分かってくれるだろう。それより、今度また赤灯台に行って事情を話さなきゃだな)
 明は潮路の後に続いて屋敷へと足を踏み入れながら、〈門〉を開けてくれているはずの北斗に心の中で謝罪する。
「一体どんな方なんでしょう……」
 明に付き従いながら、水晶が不安そうに呟いた。
「大丈夫だよ」
 明は、安心させるように優しく声をかけた。
 そして前を向くと、右手首の腕時計にそっと触れて、その冷ややかな感触を確かめる。
(少しでも水晶におかしなことをするようなら……)
 蘇芳が座す広間を前に、明は鋼のような決意を胸に秘めたのだった。



 そして数分後。
「あなたが水晶ちゃんなのね!」
「式神に会うのって初めてー」
「その翼、触ってもいい?」
「きゃー! ふかふかー!」 
 水晶は、小さな女の子の妖たちに取り囲まれていた。彼女たちは潮路の配下であるとのことで、大半が人魚なのだが、中にはタコやイカ、クラゲ、ウミウシなどが少し人間に寄ったような形をした妖も混じっている。ちなみに潮路は、この龍宮城の主である龍神・蘇芳の横で酌をしている。
「水晶って、そんなに噂になってたのか?」
 明は、漆塗りの脚付き膳に盛られた海の珍味とジュースによる歓待を受けながら、隣に浮かぶ伊勢海老の妖・多聞丸に訊ねた。
「当たり前だろ!」
 水晶を熱心に見つめていた多聞丸が、触覚を先端までピンと立てて叫んだ。
「海鳥と魚の姿をしためちゃくちゃ霊力が強い式神の可愛い女の子が横浜にやってきたとか、噂にならない方がおかしいっつーの!」
「そ、そうか……」
 多聞丸の剣幕に気圧された明は、よく分からないながらもとりあえず頷いておく。
 例の試練の際に案内役として明を導いたのがこの多聞丸だったのだが、あの時の勇猛さはどこへやら、鼻の下をだらしなく伸ばし、ついでに触覚もだらりと垂らして、少し離れた場所で女の子たちに囲まれる水晶に熱烈な視線を注いでいる。
 見かねた明は、多聞丸に提案してみることにした。
「そんなに気になるなら、話してくればいいじゃねえか」 
「馬鹿か小僧!」
「へっ?」
「オイラが、あの輪の中に入っていけるわけが無いだろ!」
 多聞丸は叫びながら、左右5対のうちの片側5本の脚でビシッと指さした。そこにはいつの間にやら、女性向けファッション雑誌を囲んで楽しそうにお喋りする水晶と小さな女の子たちの華やかな空間が形成されている。
(雑誌なんて、どうやって手に入れるんだろ)
 興味津々といった顔で紙面を覗き込む水晶を眺めながら、ヴェネチアングラスの盃を片手に明はそんなことを考える。 
 すると、水晶が顔を上げた。
「……!」 
 明が自分を見ていることに気がつき、迷うようなそぶりを見せる。あるじをほっぽり出して妖たちと遊ぶなど、従者としてあるまじき行為と感じているのだろう。
 明は、水晶に笑いかけた。
 水晶は目を見開き、それから安堵の笑みを浮かべる。そして、女の子たちとのお喋りに戻っていった。
(また新しい友達ができたみたいだな)
 和気あいあいとした小さな女の子の妖たちの輪を眺めながら、明は胸をほっこりさせる。
「うわーっ! あの子、オイラのことを見て笑った!」
「はあ?」
 多聞丸が、ただでさえ赤い顔を更に赤くして叫びながら、明の肩を激しく揺さぶってきた。
「いや、あれはお前じゃなくて俺を見たんだよ」
「ハッ! あの子、もしかして!」
 明は冷静に聡そうとしたが、興奮状態の多聞丸の耳には何一つ入っていない。
「オイラのことが好きなのかもーっ!?」
「どうしてそうなるんだよ……」
 あまりに強い思い込みっぷりに、明は呆れ返ってため息をついた。
「ほほう。何やら面白そうな話をしておるではないか、多聞丸よ」
「ひいっ!?」
 突然割って入った重々しい声に、多聞丸が悲鳴を上げた。
「く、黒瀬様っ! これは、その」
 自らの主の出現に、見ていて可哀想になるくらい慌てふためく多聞丸。
 サメの大妖である黒瀬は、蘇芳のもうひとりの側近である。一応は人間の形を取っているが、皮膚の代わりに楯鱗じゅうりんと呼ばれる細かく硬い鱗が全身を覆い、毛髪は1本も生えていない。そして眼球はサメそのままの楕円形と、潮路よりも人間離れした変化へんげとなっている。
 合気道の道着と袴を身につけて派手な柄のバンダナを頭部に巻くという斬新な出で立ちをした黒瀬は、普段は非常に温厚で、蘇芳や潮路と比べればずっと人間寄りの感覚を持っていた。
 しかし、木刀を床に着いて多聞丸を凝視する今の黒瀬からは、一切の冗談が通じないであろう剣呑さが醸し出されている。
「稽古を抜け出してどこへ行ったかと思えば。まさか、女子おなごにうつつを抜かしておったとは……」
 黒瀬が、いかにも悲しそうといった体で大袈裟に首を振って見せる。
「お前、稽古を抜け出してきたのかよ……」
「あ、いえ、その」
 明の横で多聞丸は、恐怖に塗りつぶされたような顔をして黒瀬を見つめ返している。蛇に睨まれた蛙とは、まさにこのことだろう。
「鍛錬が足りぬようだな。素振り10万回からやり直しだ」
「ひええっ! お慈悲を!」
 こうして多聞丸は、黒瀬の硬質な手にむんずと掴まれて広間を後にしたのだった。 
「いやあ、なんとも初々しい恋の一幕だったな。まるで日照りが続いてひび割れた大地に、新鮮な水が染み込んでいくような心持ちがしたぞ」
 呆れと哀れみを込めて多聞丸を見送っていた明の耳に、龍神の尊大な話し声が飛び込んでくる。
 明は顔を前に戻すと、なるべく平静を装って壇上に座る龍神・蘇芳を見上げた。
(なんだよ、俺に話しかけてるのかよ……)
 蘇芳は、ラタン調の寝椅子にふんぞりかえって機嫌の良い笑顔を明に向けている。
 美丈夫という言葉が相応しい整った目鼻立ちに、胸から腹にかけて大きく開いたエセ中華風の衣装と、首からジャラジャラと下がる宝飾類。外見は完全に人間の形をとっているが、美しい蘇芳色の髪と優に2mを超える高身長については人間離れしているといえるかもしれない。
「ところで小僧、刀の様子はどうだ。何か言葉を発するようにはなったか?」
 適当な相づちを打って珍味を食べていた明だったが、蘇芳は全く気にする様子もなく、すぐに別の話題を降ってきた。
「いいえ。まだです」
 珍味を飲み込んでから、小さく首を振って答える。
 蘇芳は顎に手を当てて、仄かに赤い光を反射する腕時計をじっと見つめる。
「まあ、あれから数ヶ月しか経っておらんからな、そんなもんかもしれんな。そういえば、そやつに名前はつけとらんのか?」
「そのことなのですが」
 明は右手首の腕時計に触れると、元の姿に戻るように強く念じた。
 数秒後、明の手の中にひと振りの直刀が出現する。
 反りの無い真っ直ぐな刀身に、龍の姿が彫り込まれた金属製の柄。柄の先には環状の透かし彫り細工が付いており、これもまた龍の姿をしている。
 これこそが、試練の末に蘇芳が明に授けた龍神の宝具だった。
「実は、朝霧にも同じことを言われたばかりなのです。名前を付ければ、自我の形成が多少なりとも促されるのではないかと勧められまして」
 明はつい最近、朝霧まりかから〈夕霧〉についての話を聞いたばかりだった。 
 蘇芳の神霊力が込められているという、まりかの愛刀ならぬ愛杖・〈夕霧〉。持ち主であるまりかが名前を付けたということで、それについてはこんなことを教えてくれた。
『私が朝霧だから、この子は〈夕霧〉にしようと思ったの。それでね、数十年経って付喪神化したら、お祝いに下の名前も付けてあげるつもりよ』
 そう言って、少しだけ照れくさそうに笑っていた。
「うむ! さすがはまりかだな!」
 明の説明に、何故か鼻高々といった様子で酒の入った盃をあおる蘇芳。まりかの素っ気ない態度については、何も気にならないらしい。仮にも龍神として、それでいいのだろうかと明は思ってしまう。
(そういえば渡辺が、塩対応とかいう言葉を使ってた気がするな。ああいうので喜ぶ連中がいるとかなんとか……)
 自分には永遠に理解できない世界の話だと醒めた目で蘇芳を眺めつつも、脱線した話を元に戻すことにする。
「朝霧の話を聞いてから、名前の候補を色々と考えてはいるのですが。この刀に相応しい名前となると、どうしても慎重になってしまいますね」
「まあ、焦る必要はない」
 蘇芳は盃から口を離すと、打って変わって真面目な顔つきで話し出す。
「なにせ、千年の時を超えたのだ。そやつとて、たかだか数ヶ月や数年を待てないということはないはずだ」
「……そうですね。焦らず、じっくり考えます」
 破天荒な龍神による至極真っ当な助言を、明はありがたく素直に受け取ることにした。再び強く念じて直刀を腕時計へと変化させると、膳に盛られた残りの珍味をさっさと片付けてしまおうとする。
 ピロロロロ……
「!?」
 明のスラックスのポケットから、着信音がけたたましく鳴り響いた。
「うそだろ、どうして」
 慌ててスマホを取り出した明は、唖然として液晶画面を見つめる。
 幽世では、電波は一切通じない。それが、明のみならず「霊力を活かした仕事」をしている人間にとっての常識だったのだが。
「ああ、それか。まりかのために、いつでも使えるようにしてあるというだけだ」
「……」
 こともなげに言ってのける龍神に、明は絶句するしかない。
(どうなってんだよ、この龍宮城は)
 ピロロロロ……
 スマホは未だに鳴り響いている。
 明は液晶画面に視線を戻した。そこには「室長」の二文字がでかでかと表示されている。
(この場合、広間の外に出た方がいいのかな)
 すると潮路が、まるで心を読み取ったかのように、その場で電話に出ることを勧めてきた。
「どうぞ、菊池様。ご遠慮なくお話ください」
「そうだ小僧、うるさいから早く応じてやれ。一緒に聞いてやるから」
 蘇芳も、ニヤニヤと笑いながら電話に出るように促してくる。どうやら、本人の目の前で堂々と通話内容を「傍受」する気らしい。
(次からは、電源を切っておこう)
 明は心の中でため息をつくと、陰鬱な気分で「室長」の二文字を眺めながら通話ボタンをタップした。
shareX(旧Twitter)を見る
コメントを投稿
現在のコメント

    コメントはまだありません

過去のコメント

    コメントはまだありません