- なし
# 3
【シリアス】兵士達に遺された日々
今もなお続くスナルデンとミラージの独立戦争。もう二年になる悲劇は、今も終わる兆しが見えなかった。
両国の境界に共同墓地がある。数百年前も戦争をしていた両国が、その過ちを繰り返さないようにと建てられた墓地だ。
電気技術が発展しても墓地は古風なままだった。大きな教会の中。扉を開いて中に進むと、石造りの床の上にいくつもの石碑が並べられている。菱形の下の部分を伸ばしたような形をした石碑が立っているのだ。
そこには生前の名前と職業が記されていた。無職の場合は旅人と書かれるのが昔からの名残だ。
教会には地下が三階まで続いていて、全てが墓だ。
だが骨も亡骸もそこにはない。あるのは、生前故人が大事にしていた物だ。スナルデンの文化の賜物だろう。
いつも静けさだけが住んでいる墓地に、足音が聞こえてきた。彼の名前はカルエ。スナルデン陸軍の少尉だった。年齢は三七歳。新緑色の軍服は迷彩柄になっていて、いつも肩にかけている銃は基地に置いてきている。腰にあるナイフだけが唯一の武器だ。
ブーツの足音が小気味よく教会に響き、彼はいつもと同じ手順で同じ墓の前で腰を下ろした。
「こんな夜中に墓参りか」
いつも昼に来ていたカルエは、少し驚いた様子で尋ねた。
墓地に来ていたのはカルエだけじゃなかった。もう一人、隣に青年がいたのだ。見た目は二十台前半くらいだろうか。白を基調として灰色の水が垂れているような独特な軍服はミラージのものだ。彼も武器は何も持たず、腰にスキットルを下げているだけだった。
彼は目を開けると、夜虫の声に紛れてこう言った。
「お互い様ですよ」
他に人はいない。それも当然だ。兵士はいつ命を落とすか分からない。墓地は、運が悪かった者達の集まりだ。ある兵士はこう言う。墓地にいくと運気を吸われて、生きられないような気がすると。他の兵士は、墓を見るのが怖いと言う。だから定期的に墓を訪れるカルエを奇異の眼として見る者が多かった。
青年は立っていた。天井から下がっている蝋燭だけが明かりを照らしているから、立ったままだと墓に刻まれた名前は見えないだろう。
彼は知っているのだ。墓の主を。
「恋人か?」
カルエは気さくに話しかけた。敵国の兵士に。
「いえ、母さんです。あなたは?」
「部下だ。バーディって名前だった」
楽天家な男だった。戦争には絶対生き残れるって信じてやまない、能天気なバカだった。だが能天気なバカは彼なりに周囲の士気を上げていた。もし戦争が終わったらエンターテイナーになれたに違いない。
「銃撃ですか」
「地雷だ」
彼の死を語るには、少しだけ底が厚い話になるのを避けられない。
「死因は地雷」
「それは――すみません、もしかしたら僕が置いた地雷かもしれませんね。以前はよく地雷設置に携わっていたので」
「それはない。お前のせいじゃない」
「どうしてわかるんですか」
「あいつは自分で置いた地雷を自分で踏んだからだ」
対人地雷ならまだ生きていただろう。足や手が無くなったり、後遺症に悩まされたりするかもしれない。それでも……。
「自殺したんだ。N3奪還作戦の時にな」
青年はカルエの方を向いた。そんなのあり得ない、と言うような顔だった。当然だ。
奪還作戦は成功した。ミラージには尊大な被害が出て、スナルデン国内に戦争は勝利に向かっているとパレードまで起きたくらいだ。カルエ自身も報告を聞いた時は久々に酒場に出向いて、部下達と笑い合ったものだ。
その最中だった。バーディの死を聞いたのは。
「作戦が成功したのに自死を選ぶなんておかしいじゃないですか」
彼の持論はもっともだった。実際カルエも酒場で彼を待っていたからだ。
「あいつはな、戦果を一度も上げなかったんだ。戦場では銃を撃って攻撃してるフリ。会議では話を聞いて意見はするが、的外れなものばかり。だが戦争に勝利する意欲は見えていたから、上層部も俺も気にせずあいつを部隊に入れ続けた。実戦部隊がいいって、そう言ってたからな」
はあ、と青年は息を吐いた。暖房はないから、息が白い。
「だがN3奪還作戦であいつは対兵器地雷を置く係に任命された。拒絶していたが、歩兵としての実力がなかったから強制的に入れられたんだ」
「なら、それが功を奏しましたね。その作戦でミラージの敗北を決めたのは、地雷でしたから」
「そうだな。木端微塵になるほどの威力だった。何人もの人間が死んだだろう」
青年はしゃがんでこう言った。
「PTSDですか」
「少し違う。遺書もなんにもないからな、俺も詳しくは知らん。だが耐えられなかったんだろう。あいつはミラージを恨んではいなかった。いやそもそも、戦争そのものを批判していたから」
青年はこう思ったはずだ。それならなぜ兵士になっているのか。実戦部隊のままがいいと言ったのか。
カルエは先回りしてこう答えた。
「バーディは好きな映画があった。こんな内容だ」
骨太な戦争映画だ。内容はフィクションで、たった数百人の部隊が数万人の部隊を知恵を使って倒すという爽快なエンタメ映画。
あるシーンで、敵国の兵士が投降して主人公たちに助けを求めるシーンがあった。だが、映画では脇役がその兵士を撃ち殺してしまうのだ。バーディはそのシーンにひどくショックを受けたという。だから今度の戦争で投降してくる兵士がいたら自分が助けるんだと息巻いて、それで実戦部隊を希望したのだと。
「優しい方だったんですね」
目の前の墓にはネックレスが下げられている。バーディが一番大事にしていたものだ。カルエは気にしなかったが、ある部下が突然バーディが身に付けだしたと言っていたのをよく覚えている。
「お前のママは病死か?」
「厳密に言うと、血は繋がってないんです」
青年はスキットルの中にある酒を飲んだ。バーボンの香りがしたように感じた。
「僕は子供の頃から親戚をたらいまわしだったんです。本当はスナルデンで生まれたんですよ」
「なんでたらいまわしに?」
「経済的な事情です。どうやら僕、酒場で酔った勢いでできた子供らしくて」
カルエは彼が続きを語るのを待った。息の音すらも消しながら。
「元の家族から親戚に移り変わっていったんですが、どこも経済的に厳しいとかいう理由で数年で僕を追い出したんです。最後に着いたのが、今いる家族でした。家族といっても、母さんしかいませんでしたが」
「父さんは」
「いませんでした。母さんは独身だったみたいなんです」
ミラージは経済的に疲弊した国だ。独身も珍しくはない。
「そのママが独身だったら、一番経済的な問題を抱えてるんじゃないか」
「はい。今までたらいまわしにしてきた家の中で最も貧乏でした。家も部屋が二つしかなく、毎日スープだけ。学校に通うお金もなくて、母さんが色々教えてくれてました」
ミラージの経済疲弊は元を辿ると長くなる。戦争が始まった切っ掛けでもあるからだ。
「でも僕は生きてて一番幸せな時間だったように思います。母さんは優しいし、料理も温かい。それに、誰よりも僕を愛してくれました。お金はない貧乏生活だけど、幸せだったんです」
愛は金よりも重い。愛は金では買えない。その場しのぎの愛なら、風俗なりナンパなりで買えるかもしれない。それも一種の愛だろう、自分の欲望を満たすための儚いものに過ぎないが。しかし、青年が得たのは心に触れる愛だ。
「最初の質問、まだ答えてなかったですね。どうして母さんが亡くなったのか」
彼はすぐには答えなかった。カルエに向けていた顔を墓に戻した。
できるなら病死であってほしい。カルエは現実から抗おうとした。
だが、人生は常に。直感というのは、思ったよりも最悪な形で当たってしまうものなのだ。
「母さんは、ヘオス地区にいました。僕に会いに来てくれた、ちょうどその日でした」
冷たい空気が流れた。風が木製扉を軋ませる。青年はもう一度、スキットルを口につけた。度数の高い酒だろうに、彼から酔っているような雰囲気はまったく感じられない。
むしろ、落ち着いているのは酔っている証拠なのだろうか。
愛し方を教えてくれて、愛してくれた人を亡くしたのだ。その感情をカルエはまだ知らない。自分についてきてくれた部下を亡くした人間も辛いが、彼はそれ以上に残酷な宿命を課せられているのだと心でも頭でも理解できた。
まったく境遇の異なる敵対国同士の二人が、まったく同じタイミングで微笑した。
「お前が俺の部下だったらよかった」
「僕もちょうど同じことを考えてました。あなたの部下だったら、きっと楽しかっただろうなって」
明日からは、また別の任務が始まる。殺しの任務になるだろう。明日は自分の手で人を殺すかもしれないというのに、今はまったくそんな気がしないのだった。不思議な感覚だ。戦争中という緊張状態から解放されたかのような、枯れていた喜びという名前の花が咲いたような。
「名前はなんていうんだ」
「僕はロードです。ロード・テルタス」
「驚いたな。お前があの」
ロード・テルタスという名前を聞けばほとんどの人間が知っていた。彼には異名があり、その名も「逆境のロード」だ。彼はさっきの映画よろしく、絶望的な状況から指揮を執り、自軍を勝利に導き仲間たちを救った伝説があるのだ。
異名は昔の偉人と比べればシンプルだが、行いは立派なものだった。なぜなら、ロードは不殺主義だからだ。だからこそ安直な異名なのだろうと思っていた。
不殺に関しては、納得がいく。目の前で母親を殺されたと言っても過言ではないのだから。
「戦争が終われば僕の伝説も意味がないですよ」
「後世に語り継がれるぞ。きっとな」
「教科書には載らないでしょう」
「分からないぞ。歴史ってのは尾ひれがついて誇張されたり塗りつぶされたりするもんだ。戦争を勝利に導いた英雄とまで言われるかもな。ミラージが勝ったらの話だが」
「負けたらただの戦犯ですけどね」
彼からは、二十台にしては深すぎる人生への造詣の深さを感じた。最愛の者を喪った者の、ある意味達観した何か。深い哲学を持ち合わせていても不思議ではない。他人の空似ではなく、自分の人生で会得した哲学だ。
だからカルエは、こんな問いを投げてしまった。興味本位だった。
「戦争ってなんだと思う」
曖昧で、はっきりとしない問いだ。普通の人間なら笑って誤魔化すところだろう。
ロードはというと、視線を斜め上に向けながら考えていた。彼は安直には答えなかった。時間をかけて、そして辿り着いた思考の終着点。
彼は短く、こう答えた。
「正当化、ではないでしょうか」
「どうしてそう思った」
「国と人間は似ています。なぜなら、国とは人間が運営するものだからです」
彼の透き通るような声が、教会を彩る。カルエは黙って耳を傾けた。
「人間同士の喧嘩は、お互いが自分の主張が正しいと正当化して行うものです。戦争もそうなのではないでしょうか。国が、自分がしていることの正しさの証明」
「戦争という行為自体、過ちのように思うがな」
「はい。ですが、勝てば国民は裕福になる。為政者は、未来のためと語って。それこそ戦争そのものを正当化させる」
この問いには俗説がある。正義のぶつかり合いといった説だ。カルエはそれを訊いてみたが、ロードは咀嚼したものが上手く飲み込めないような怪訝な顔でこう言った。
「昔はそうだったかもしれません。ですが、今は違うと思います。正義を主張したいならば、戦争以外にも方法はいくらでもありますから」
兵士が語る話にしては場違いだろう。国は戦争に勝てればそれでいい。兵士は駒に過ぎないからだ。チェスにおいて、ポーンが前に出ずに言うことをきかなかったら困るのはプレイヤーだ。国が目指しているのは勝利そのもの。
「ところで、僕を殺さなくてもいいんですか。あなたの国では恐れられていると思いますが」
「知らないのか。共同墓地内での殺人は禁止されてる」
明確なルールではないが、倫理観から形成された暗黙の了解だった。
「でも罪には問われません。僕を殺しておけば戦争に勝てる可能性があがります。自分を優秀だとは思いませんが……少なくとも、あなたにとって名誉にはなるはずです」
「そうだな」とだけカルエは返した。だが持参していたナイフを抜くどころか、彼は立ち上がって出入口の方に向かって歩いていくではないか。
ロードは背中を追うようにこう言った。
「僕はあなたを殺すかもしれない、それは嫌なんです。それなら、あなたに殺される方がマシだと思いました」
「バカを言うんじゃねえ」
力強い声でカルエはこう言った。帰ろうとしていた彼は振り返ってこう続ける。
「お前のママの望みはな、幸せに生きてもらうことなんだよ。そしてあわよくば、自分の気持ちを知ってもらえればママにとっても幸せだろうよ。いいか、人間ってのはいくら死んだとしても、生きてる人間が努力すれば死者も幸せになれるんだよ。それも知らずに、死にたいとか言うんじゃねえ」
そうじゃなきゃ、やってらんねえよ。戦争なんて。
ロードは萎縮するでもなく、反論するでもなく呆然としていた。大きな龍を前にする冒険者のようだった。
だが、芯のある声で言った。
「――次は戦場で会いましょう。すみませんでした、ワガママを言って」
「ああ。戦場ならお前を殺せるかもしれないからな」
踵を返したカルエは、今度こそ教会の扉を開けて外に一歩踏み出した。そうして意味もなく立ち止まる。頭の中は思考の渋滞が起きていて、しばらく悩んだ後。何も言わずに寮へと戻っていくのだった。
歩き去る足音を聞きながら、ロードはポツリと呟くのだ。
「ごめんね、母さん。今だけは泣いてもいいよね」
戦争の間だけは泣かないと決めていた。勝つまでは、負けるまでは泣かないと決めていた。感情をせき止めるダムを心の中に作って、留めておいたのだ。
ロードは大人になってから、母さんの死以外だとあんまり泣いて来なかった。
だが、今は。理由は分からない、どうしてここまで心が動いているのか分からない。
大粒の涙が何滴も、数十分も流れ続けて止まらなかった。
両国の境界に共同墓地がある。数百年前も戦争をしていた両国が、その過ちを繰り返さないようにと建てられた墓地だ。
電気技術が発展しても墓地は古風なままだった。大きな教会の中。扉を開いて中に進むと、石造りの床の上にいくつもの石碑が並べられている。菱形の下の部分を伸ばしたような形をした石碑が立っているのだ。
そこには生前の名前と職業が記されていた。無職の場合は旅人と書かれるのが昔からの名残だ。
教会には地下が三階まで続いていて、全てが墓だ。
だが骨も亡骸もそこにはない。あるのは、生前故人が大事にしていた物だ。スナルデンの文化の賜物だろう。
いつも静けさだけが住んでいる墓地に、足音が聞こえてきた。彼の名前はカルエ。スナルデン陸軍の少尉だった。年齢は三七歳。新緑色の軍服は迷彩柄になっていて、いつも肩にかけている銃は基地に置いてきている。腰にあるナイフだけが唯一の武器だ。
ブーツの足音が小気味よく教会に響き、彼はいつもと同じ手順で同じ墓の前で腰を下ろした。
「こんな夜中に墓参りか」
いつも昼に来ていたカルエは、少し驚いた様子で尋ねた。
墓地に来ていたのはカルエだけじゃなかった。もう一人、隣に青年がいたのだ。見た目は二十台前半くらいだろうか。白を基調として灰色の水が垂れているような独特な軍服はミラージのものだ。彼も武器は何も持たず、腰にスキットルを下げているだけだった。
彼は目を開けると、夜虫の声に紛れてこう言った。
「お互い様ですよ」
他に人はいない。それも当然だ。兵士はいつ命を落とすか分からない。墓地は、運が悪かった者達の集まりだ。ある兵士はこう言う。墓地にいくと運気を吸われて、生きられないような気がすると。他の兵士は、墓を見るのが怖いと言う。だから定期的に墓を訪れるカルエを奇異の眼として見る者が多かった。
青年は立っていた。天井から下がっている蝋燭だけが明かりを照らしているから、立ったままだと墓に刻まれた名前は見えないだろう。
彼は知っているのだ。墓の主を。
「恋人か?」
カルエは気さくに話しかけた。敵国の兵士に。
「いえ、母さんです。あなたは?」
「部下だ。バーディって名前だった」
楽天家な男だった。戦争には絶対生き残れるって信じてやまない、能天気なバカだった。だが能天気なバカは彼なりに周囲の士気を上げていた。もし戦争が終わったらエンターテイナーになれたに違いない。
「銃撃ですか」
「地雷だ」
彼の死を語るには、少しだけ底が厚い話になるのを避けられない。
「死因は地雷」
「それは――すみません、もしかしたら僕が置いた地雷かもしれませんね。以前はよく地雷設置に携わっていたので」
「それはない。お前のせいじゃない」
「どうしてわかるんですか」
「あいつは自分で置いた地雷を自分で踏んだからだ」
対人地雷ならまだ生きていただろう。足や手が無くなったり、後遺症に悩まされたりするかもしれない。それでも……。
「自殺したんだ。N3奪還作戦の時にな」
青年はカルエの方を向いた。そんなのあり得ない、と言うような顔だった。当然だ。
奪還作戦は成功した。ミラージには尊大な被害が出て、スナルデン国内に戦争は勝利に向かっているとパレードまで起きたくらいだ。カルエ自身も報告を聞いた時は久々に酒場に出向いて、部下達と笑い合ったものだ。
その最中だった。バーディの死を聞いたのは。
「作戦が成功したのに自死を選ぶなんておかしいじゃないですか」
彼の持論はもっともだった。実際カルエも酒場で彼を待っていたからだ。
「あいつはな、戦果を一度も上げなかったんだ。戦場では銃を撃って攻撃してるフリ。会議では話を聞いて意見はするが、的外れなものばかり。だが戦争に勝利する意欲は見えていたから、上層部も俺も気にせずあいつを部隊に入れ続けた。実戦部隊がいいって、そう言ってたからな」
はあ、と青年は息を吐いた。暖房はないから、息が白い。
「だがN3奪還作戦であいつは対兵器地雷を置く係に任命された。拒絶していたが、歩兵としての実力がなかったから強制的に入れられたんだ」
「なら、それが功を奏しましたね。その作戦でミラージの敗北を決めたのは、地雷でしたから」
「そうだな。木端微塵になるほどの威力だった。何人もの人間が死んだだろう」
青年はしゃがんでこう言った。
「PTSDですか」
「少し違う。遺書もなんにもないからな、俺も詳しくは知らん。だが耐えられなかったんだろう。あいつはミラージを恨んではいなかった。いやそもそも、戦争そのものを批判していたから」
青年はこう思ったはずだ。それならなぜ兵士になっているのか。実戦部隊のままがいいと言ったのか。
カルエは先回りしてこう答えた。
「バーディは好きな映画があった。こんな内容だ」
骨太な戦争映画だ。内容はフィクションで、たった数百人の部隊が数万人の部隊を知恵を使って倒すという爽快なエンタメ映画。
あるシーンで、敵国の兵士が投降して主人公たちに助けを求めるシーンがあった。だが、映画では脇役がその兵士を撃ち殺してしまうのだ。バーディはそのシーンにひどくショックを受けたという。だから今度の戦争で投降してくる兵士がいたら自分が助けるんだと息巻いて、それで実戦部隊を希望したのだと。
「優しい方だったんですね」
目の前の墓にはネックレスが下げられている。バーディが一番大事にしていたものだ。カルエは気にしなかったが、ある部下が突然バーディが身に付けだしたと言っていたのをよく覚えている。
「お前のママは病死か?」
「厳密に言うと、血は繋がってないんです」
青年はスキットルの中にある酒を飲んだ。バーボンの香りがしたように感じた。
「僕は子供の頃から親戚をたらいまわしだったんです。本当はスナルデンで生まれたんですよ」
「なんでたらいまわしに?」
「経済的な事情です。どうやら僕、酒場で酔った勢いでできた子供らしくて」
カルエは彼が続きを語るのを待った。息の音すらも消しながら。
「元の家族から親戚に移り変わっていったんですが、どこも経済的に厳しいとかいう理由で数年で僕を追い出したんです。最後に着いたのが、今いる家族でした。家族といっても、母さんしかいませんでしたが」
「父さんは」
「いませんでした。母さんは独身だったみたいなんです」
ミラージは経済的に疲弊した国だ。独身も珍しくはない。
「そのママが独身だったら、一番経済的な問題を抱えてるんじゃないか」
「はい。今までたらいまわしにしてきた家の中で最も貧乏でした。家も部屋が二つしかなく、毎日スープだけ。学校に通うお金もなくて、母さんが色々教えてくれてました」
ミラージの経済疲弊は元を辿ると長くなる。戦争が始まった切っ掛けでもあるからだ。
「でも僕は生きてて一番幸せな時間だったように思います。母さんは優しいし、料理も温かい。それに、誰よりも僕を愛してくれました。お金はない貧乏生活だけど、幸せだったんです」
愛は金よりも重い。愛は金では買えない。その場しのぎの愛なら、風俗なりナンパなりで買えるかもしれない。それも一種の愛だろう、自分の欲望を満たすための儚いものに過ぎないが。しかし、青年が得たのは心に触れる愛だ。
「最初の質問、まだ答えてなかったですね。どうして母さんが亡くなったのか」
彼はすぐには答えなかった。カルエに向けていた顔を墓に戻した。
できるなら病死であってほしい。カルエは現実から抗おうとした。
だが、人生は常に。直感というのは、思ったよりも最悪な形で当たってしまうものなのだ。
「母さんは、ヘオス地区にいました。僕に会いに来てくれた、ちょうどその日でした」
冷たい空気が流れた。風が木製扉を軋ませる。青年はもう一度、スキットルを口につけた。度数の高い酒だろうに、彼から酔っているような雰囲気はまったく感じられない。
むしろ、落ち着いているのは酔っている証拠なのだろうか。
愛し方を教えてくれて、愛してくれた人を亡くしたのだ。その感情をカルエはまだ知らない。自分についてきてくれた部下を亡くした人間も辛いが、彼はそれ以上に残酷な宿命を課せられているのだと心でも頭でも理解できた。
まったく境遇の異なる敵対国同士の二人が、まったく同じタイミングで微笑した。
「お前が俺の部下だったらよかった」
「僕もちょうど同じことを考えてました。あなたの部下だったら、きっと楽しかっただろうなって」
明日からは、また別の任務が始まる。殺しの任務になるだろう。明日は自分の手で人を殺すかもしれないというのに、今はまったくそんな気がしないのだった。不思議な感覚だ。戦争中という緊張状態から解放されたかのような、枯れていた喜びという名前の花が咲いたような。
「名前はなんていうんだ」
「僕はロードです。ロード・テルタス」
「驚いたな。お前があの」
ロード・テルタスという名前を聞けばほとんどの人間が知っていた。彼には異名があり、その名も「逆境のロード」だ。彼はさっきの映画よろしく、絶望的な状況から指揮を執り、自軍を勝利に導き仲間たちを救った伝説があるのだ。
異名は昔の偉人と比べればシンプルだが、行いは立派なものだった。なぜなら、ロードは不殺主義だからだ。だからこそ安直な異名なのだろうと思っていた。
不殺に関しては、納得がいく。目の前で母親を殺されたと言っても過言ではないのだから。
「戦争が終われば僕の伝説も意味がないですよ」
「後世に語り継がれるぞ。きっとな」
「教科書には載らないでしょう」
「分からないぞ。歴史ってのは尾ひれがついて誇張されたり塗りつぶされたりするもんだ。戦争を勝利に導いた英雄とまで言われるかもな。ミラージが勝ったらの話だが」
「負けたらただの戦犯ですけどね」
彼からは、二十台にしては深すぎる人生への造詣の深さを感じた。最愛の者を喪った者の、ある意味達観した何か。深い哲学を持ち合わせていても不思議ではない。他人の空似ではなく、自分の人生で会得した哲学だ。
だからカルエは、こんな問いを投げてしまった。興味本位だった。
「戦争ってなんだと思う」
曖昧で、はっきりとしない問いだ。普通の人間なら笑って誤魔化すところだろう。
ロードはというと、視線を斜め上に向けながら考えていた。彼は安直には答えなかった。時間をかけて、そして辿り着いた思考の終着点。
彼は短く、こう答えた。
「正当化、ではないでしょうか」
「どうしてそう思った」
「国と人間は似ています。なぜなら、国とは人間が運営するものだからです」
彼の透き通るような声が、教会を彩る。カルエは黙って耳を傾けた。
「人間同士の喧嘩は、お互いが自分の主張が正しいと正当化して行うものです。戦争もそうなのではないでしょうか。国が、自分がしていることの正しさの証明」
「戦争という行為自体、過ちのように思うがな」
「はい。ですが、勝てば国民は裕福になる。為政者は、未来のためと語って。それこそ戦争そのものを正当化させる」
この問いには俗説がある。正義のぶつかり合いといった説だ。カルエはそれを訊いてみたが、ロードは咀嚼したものが上手く飲み込めないような怪訝な顔でこう言った。
「昔はそうだったかもしれません。ですが、今は違うと思います。正義を主張したいならば、戦争以外にも方法はいくらでもありますから」
兵士が語る話にしては場違いだろう。国は戦争に勝てればそれでいい。兵士は駒に過ぎないからだ。チェスにおいて、ポーンが前に出ずに言うことをきかなかったら困るのはプレイヤーだ。国が目指しているのは勝利そのもの。
「ところで、僕を殺さなくてもいいんですか。あなたの国では恐れられていると思いますが」
「知らないのか。共同墓地内での殺人は禁止されてる」
明確なルールではないが、倫理観から形成された暗黙の了解だった。
「でも罪には問われません。僕を殺しておけば戦争に勝てる可能性があがります。自分を優秀だとは思いませんが……少なくとも、あなたにとって名誉にはなるはずです」
「そうだな」とだけカルエは返した。だが持参していたナイフを抜くどころか、彼は立ち上がって出入口の方に向かって歩いていくではないか。
ロードは背中を追うようにこう言った。
「僕はあなたを殺すかもしれない、それは嫌なんです。それなら、あなたに殺される方がマシだと思いました」
「バカを言うんじゃねえ」
力強い声でカルエはこう言った。帰ろうとしていた彼は振り返ってこう続ける。
「お前のママの望みはな、幸せに生きてもらうことなんだよ。そしてあわよくば、自分の気持ちを知ってもらえればママにとっても幸せだろうよ。いいか、人間ってのはいくら死んだとしても、生きてる人間が努力すれば死者も幸せになれるんだよ。それも知らずに、死にたいとか言うんじゃねえ」
そうじゃなきゃ、やってらんねえよ。戦争なんて。
ロードは萎縮するでもなく、反論するでもなく呆然としていた。大きな龍を前にする冒険者のようだった。
だが、芯のある声で言った。
「――次は戦場で会いましょう。すみませんでした、ワガママを言って」
「ああ。戦場ならお前を殺せるかもしれないからな」
踵を返したカルエは、今度こそ教会の扉を開けて外に一歩踏み出した。そうして意味もなく立ち止まる。頭の中は思考の渋滞が起きていて、しばらく悩んだ後。何も言わずに寮へと戻っていくのだった。
歩き去る足音を聞きながら、ロードはポツリと呟くのだ。
「ごめんね、母さん。今だけは泣いてもいいよね」
戦争の間だけは泣かないと決めていた。勝つまでは、負けるまでは泣かないと決めていた。感情をせき止めるダムを心の中に作って、留めておいたのだ。
ロードは大人になってから、母さんの死以外だとあんまり泣いて来なかった。
だが、今は。理由は分からない、どうしてここまで心が動いているのか分からない。
大粒の涙が何滴も、数十分も流れ続けて止まらなかった。
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