著者 晴生
  • なし
# 1

ビールいっぱいの酩酊

 なあなあ、彼女いる? あ、そうなんだ。だったら好きな子とか気になる人とかは? ……おまえってさぁ、これまでに彼女いたことある?
 飲み会中盤を過ぎるとよく登場する、こういう恋愛フローチャートみたいなどこまでも不躾な質問。これらすべてにノーで答えた先にあるのは、うわこいつマジかよつまんねぇ的な死んだ空気と憐れみの視線だということには僕もさすがに気付いているけど、話を逸らしたところで逆効果だということも知っているから結局どうすることもできなかったりする。
 僕の答えに、勿体ねぇ~! とテンション高めに今カノの惚気とか元カノとのエグめなネタとかを提供してくれるのが地元の同級生。あーもしかしてアレ? 昨今よく聞くLGBTとかいう……大丈夫大丈夫! そういうの全然偏見ねぇし、と大いなる勘違いをして話をややこしくするのが高校や大学の同級生。おまえはそういうやつだから仕事のモチベが云々人間関係が云々と、何故か恋愛経験を基盤にまるっと僕の価値観を否定してくるのが職場の偉い人。
 笑顔は崩さずに適当な相槌を打って、情報が捻じ曲がりそうな部分だけはきっちり否定する。そんな対処法が効果的。なんて分析できてしまうほどには、この会話は何度も繰り返されていた。
 他人の恋路だとか恋愛経験の有無だとか、そんなに興味深いものだろうか。それとも、世の中にはよほど面白い恋愛話が転がっているんだろうか。
 彼女欲しくねぇの? と聞かれることもある。けど、そんな気になる洋服を買うみたいなテンションで手に入れるものでもないだろう。近況報告で恋愛話を聞くことに苦はないけどそれをメインに飲み会で二時間とかだとちょっと苦しい、そういう感じ。僕にとっては恋愛トークってそれぐらいの距離感。人生経験としてトークのネタにするのは個人の好きだけど、僕の恋愛観はおまえらの酒の肴じゃないのだ。
「――――おい、洲原~。聞いてっか?」
「はは、聞いてますよォ。そこってサッカー場の近くのとこですよね。夏と冬にイルミネーションやってるんで、それ見に行ったりしますよ」
「おまえ、彼女いないのにイルミネーション見んのかよ。一人で? うわー、寂しいなぁ」
「いえいえそうでもないです~。あ、すみませんそれこっちです。ありがとうございます」
 と、まぁここまでつらつら考えていたことはすべて現実逃避だったりする。
 酒を飲んで話をして関係性が深まるなんてのは、最初からそういうポテンシャルのあるやつだけだという持論を披露する場面は今日もこない。自己採点で満点のパーフェクトスマイルをキメて、快活な店員さんが届けてくれたばかりの生ビールを目の前に回す。
 その途中で奥の席に座る二つ後輩の訴える視線とかち合ったけれど、そのおじさんが前職でAVのパッケージデザインしてた話は去年散々聞いたから今年は君が頑張って、という気持ちを目力に込めてスルーした。正直なところ、こっちも直属の上司を適当に相手することだけで限界だ。
 本当にさ、もっと普通に話せばいいのに。さっきから僕に向けた『独り身って寂しいでしょ』でカモフラージュした自分の家族仲良しエピソードなんだよな、これ。だったら最初からあからさまに息子自慢してくれ、僕に対しての意味のない憐れみ発言とか入れなくていいから。てか、僕も別に一人で行ったわけじゃないし。それにたとえ一人だったとしてもイルミネーションを見る人権はある。面倒だから言わないけど。
 そうしてしばらく適当に聞き流しながら便利な相槌あいうえおさしすせそを駆使していた僕の肩をトントンと指先で叩いたのは、幹事をしていた同期だった。ありがたい、タイミングがいい。さすがに疲れが隠せなくなっていたところだ。
 シメの挨拶の前に、二次会の出欠確認をするらしい。僕たちの代の新人歓迎会のとき、店を出てから出欠を取ろうとして僕以外に逃げられたことを教訓にしたらしい。僕はその一回きり、最後の三次会カラオケまで付き合った。理由は歓迎会だったから。純粋に務めを果たしたまでだ。
「洲原はどうする?」
「あー……僕はもう失礼します」
 だけど今回はこれで十分だろう、なんたって新人歓迎会なので。もう毎度のことだから、確認にきた彼女も了解~とあっさりと引き下がった。もうすぐ終わるという事実が嬉しくて、少し離れた位置に座っていた上司の「暖めてくれる相手もいないんだから、風邪引くんじゃねーぞ」という余計な一言も笑顔で聞き流せる。
 そのとき、小さく音を立てて携帯が震えた。ちらりと確認すればメッセージが飛んできている。無駄に改まった感じで始まったシメの挨拶に適当にへらりと笑って適度に拍手を入れて、その合間にこっそりと視線を落とす。
 ぶん、ぶん、と連続して送られてくるそれは、僕と同じく会社の飲み会だと言っていた幼なじみからだった。

《まだ終わんない?》
《すーちゃーん》
《店の前で待ち伏せすんぞ》

 遅れてるのは悪いけどおもしろがってんな、こいつ。

〈すんな〉
《お、終わりそ?》
〈ごめんあと十分〉
〈待ってて〉
《にゃーん》

 そこはワンじゃないのか、と緩みそうになった口元を誤魔化す。いや、ワンを期待している僕も大概ヤバいな。
 そうやって笑いをこらえている間に改まったわりに最後まで大したまとまりのなかった挨拶も終わり、部長の掛け声に合わせた酔っぱらいたちによるズレた一本締めで会はお開きとなった。忘れ物の確認をして、お会計担当の同期を置いて店を出る。可不足はなかったみたいだから支払い自体は大丈夫だろう。
 店の外に出た途端、アルコールの熱を風にゴリゴリと奪われる。春一番ではないけど、この時期は風が強い。暖かくなったと思ったらまた寒さが戻ってきて、それを繰り返して一気に咲いた桜は瞬く間に散った。最近は春が短い。ほぅ、と吐き出した息を見えないけれどぼんやりと眺めていれば、視界の端に見覚えのあるコートを見つけてしまった。うわ、本当に待ち伏せしてるじゃん。
 幹事が店から出てくると、二次会はこっち、駅はこっち、とすぐに二分される。僕は駅チームの後ろを静かに歩きながら頃合いを見て、お疲れさまでした、また週明けに! と定型文を告げて一人別方向へ抜け出した。
 僕がいた店の斜向かい、年季の入った雑居ビル。さっきアイツがいたのはこの辺だったな。カラオケや居酒屋に出入りする人の隙間からビルの入り口を覗き込みながら、携帯を取り出して電話をかける。コンビニでも入っちゃったかな、近くにはいるはずだと思うけど。
『――もしもーし』
「ごめん、さっき終わって外出た」
 見てただろうし知ってるだろうけど、僕は特にツッコむこともなく話を切り出す。向こうも普通に出たし、いちいち気にしてたらキリがない。なんというか、ちょっと気まぐれなんだよな。
「今どこ?」
『すーちゃんは?』
「僕? 一次会の店の斜向かい。名前なんだろ……動かない方がいい?」
 入り口のあたりを見ても名前が見当たらない。さっきこの辺にいたんだから、まあ名前がわからなくても来てくれるとは思うけど。僕の問いかけにはうーん、という動けとも動くなとも取れる相槌しか返ってこず、どっちだよとツッコむべきかと口を開いた瞬間。
「――今日、意外と寒かったね」
 携帯を当てていた左耳とは逆からも同じ台詞が聞こえ、完全な不意打ちに思い切り肩が跳ねる。心臓に悪い登場の仕方だ、声が出なくてよかった。
「あ、驚いた」
「さすがに驚くよ」
 振り返って見えた頬はじんわりと赤くなっている。この酔っ払いが、と思いながら手のひらで頬を挟み込めばそこは思ったより冷えていた。こいつ、結構長いこと外にいたな。ちょっと寒そうだなぁなんてスカスカの首元を見ながら思って、けどボタンを上まで留めるのは苦手な気持ちもわかるからわざわざ言いはしない。
 彼は両手で挟み込んでいただけの僕の手に、その上から自分の手を重ねてむにむにと頬を押し当ててくる。同い年のはずなのに僕といるときだけ妙に子どもっぽい気がしていたけど、今日は特にそうだな。飲み会でいろいろと消耗しているのはお互い様らしい。
「コンビニとか入ってればよかったのに。忠犬じゃないんでしょ」
「そ。すーちゃんはネコ派だったかなぁと思って」
「残念。動物は苦手だし、キャラクターなら僕はウサギ派。今度からは雨風をしのげる場所で待つこと」
「はーい」
 とりあえず返事してるなというニコニコ笑顔で誤魔化したこの男は正面から僕の隣に移動すると、指先だけでちょいと僕の手を引っ掛けて歩き出した。その足に迷いがなかったから、僕はゆっくりとそれについていく。
「で、どこ行くの?」
「はい、今から俺んちに帰ります」
 駅の方に向かっているみたいだから、なんとなく予想はついていたけどやっぱり帰るのか。まあ想定内だ、二人一緒に外で飲むことはほとんどない。
「それで?」
「気になるね~って話したまま結局二人とも見逃した映画がいつの間にか配信で見れるようになってたから、じゃあ週末は一緒にそれ見たい! と思ってたんだけど、今その状況になったら眠くてしょうがない」
「だろうなぁ」
 それなりの量の酒が入ってるらしい。頬があれだけ冷えてたから酔いも覚めてるかと思ったけど、主語と述語が崩壊気味の今の説明を聞く限りそんなことはなかったみたいだ。ちゃんと一人で待ってたってことは、少なくとも会社の人の前ではシャッキリしてたんだろうけど。
「だったら先に帰っててもよかったのに」
「やだよ、仕事終わりのすーちゃん見たいじゃん」
 そんなことを言われても、普通にスーツなのに。目の前で青信号が点滅を始め、のんびりと歩いていた僕たちはそのままゆっくりと立ち止まる。急ぐ理由もないからね。
「……あとさ、この間ついにあの座椅子捨てちゃって。新しいのまだだから今日は俺と一緒にベッド、許して」
 信号待ちでスリと寄せられた頭に、猫も悪くないかもなんて思ってしまった僕もやっぱり多少は酔っているらしい。なるほど、それを先に断りたかったのか。
 お互いに寝相が悪い自覚があって、相手を蹴り落としたり、あるいはのしかかったり巻きついたり。親同士の仲が良く、よく家を行き来していた小っちゃいときから一緒に寝ると大概そういうことになってしまう。体格的に潰されるのはいつも僕の方で、こいつはわりとそれを気にしていた。
「いいよ、別に。僕のためなら買わなくても」
「……そう?」
「そう。新菜が欲しいなら買いな」
 数年前に一度、運悪く首にガッツリと腕が回っていてちょっとだけ命の危険を感じたことがあった。その翌週から突然彼の部屋に置かれるようになった座椅子、完全なフラットにできるそれが僕の寝床になっていたわけだけど、元々特に大きくもないベッドで並んで寝られるぐらいには気を許しているつもりだ。ちらりと横目に見ればどことなく嬉しそうな顔をしていて、つられて僕までニヤけそうになる。くっついて寝るの、案外好きだったみたいだからよかったのかな。
 いやぁ、これで今週末は暖めてくれる相手ができちゃった、なんて。同僚たちはまだこの辺にいるみたいだし、見られていたら面倒くさいかもしれない。大学の友人なんかは夏休みに遊びに来ていた新菜に会ったことがあるし、こういうところから勘違いをしていたのかも。
 それでもこいつを引き剥がすつもりはないし、周囲の勘違いに対して否定を諦める気もない。外側からの視線と評価なんかより、僕だけに引っ付いてくるこの男の方が大切に決まっている。けど、同じくらいは自分の感情も大事。この二つはどっちかに傾けるわけにはいかない、バランスは取っていかないと。
 これが幼なじみに向ける感情としてはわりかし面倒で、家族愛だとしても重たいものだという自覚はある。けれど昔から、この先どんな関係性になったとしても新菜は僕の人生の近くにいるだろうという漠然とした自信だけがあった。まあ実際、別の高校に進んでも大学進学で県内とはいえ引っ越して離れても関係は切れず、今でも三十分とかからずに会いに行ける距離にいるんだから、僕の自信もあながち間違いでもなかったということなんだろう。
 優越感というか、独占欲というか。言葉にして説明するならそういう類いなんだけど、そこに情欲は一ミリも含まれていない。いっそ恋愛感情だった方がマシだったかもしれないな、と思ったことは何度もある。この執着を持って、生やさしい関係におさまってしまったら、それはもう笑えない。
「すーちゃんの手、あったかいねえ」
「心が冷たいからな」
「え~、じゃあ俺が冷やそ」
 ケラケラと笑いながら冷たい指で握り込まれ、残っていたアルコールの熱はじわりと溶ける。まあいいかと思考を放り投げたその時、後ろから小さく、楽しそうな女の人たちの声が聞こえた。こっそり振り返ってみれば、キャッキャと肩を寄せ合って耳打ちをしている。手ぇ繋いでる、かわいい、仲良しじゃん。
 そう、仲良しなんです、あなたたちと一緒で。今はきっと仲の良い酔っぱらいぐらいに見えているはず。そういうことにしておこう、正しい事実だしね。
「あ、新菜んちってビールある?」
「あるよー。なに、そっちも飲み足りなかった?」
「会社の飲み会なんて飲んだ気しないじゃん」
「以上、酒豪のコメントでした」
「僕より飲むくせによく言うよ」
 青信号になって歩き出しても肩は近く、指先はやんわり掴まれている。そのままクイと引っ張られる手を、やっぱり振りほどけはしなかった。
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