- なし
# 38
October 4/5
「お待たせしました。ご注文の品は以上で?はい、どうもありがとうございました」
「ゴルゴンゾーラのペンネとヴァイスブルストですね?1800円になります。2000円お預かりします」
「次、あと何分?了解、それあがったら鍋洗っちゃって!」
屋敷の店の繁忙期も大概戦争染みているが、それと比べても遜色ない程度に、オクトーバーフェストは忙しかった。
初日から、どこからそんなにやってくるのかと不思議でしかたないくらいの人手があり、ブースから見える範囲の客席はほとんど埋まっている。
残暑も過ぎ去り、そろそろ肌寒くなる季節だが、幸運なことに天気には恵まれ、ビールの売れ行きは非常に好調なようで、それに伴い、酒の肴を求めて、俺たちのように食事を提供している店の前には、大なり小なりの行列が形成されている。
屋敷の店では、各テーブルごとのオペレーションを同時に進行させなければならないという、ある種技巧的な忙しさがあるが、こちらはより回転率を重視した、いかに目の前の注文を早く消化していくか、といった、別のベクトルの忙しさに追われている。
創造性と効率性の違い、とはまた微妙に違うのだが、こういった突き詰めれば単純作業に近づいていく動きに馴染みがないわけではないが、机に向かっているのと、厨房で全身を動かしているのとではまるで違うため、予想以上に大変なことになっている。
加えて、「COLORS」という店のネームバリューにより、ひっきりなしに客がやってくるため、こなしてもこなしても、伸びている列が短くなっていく様子を見せず、半ば自分が食品工場のマシーンにでもなったかのような気分になってきていた。
『蒼、もうすぐストック切れちゃう』
「……マジかよ、これでも増やしたんだが」
現在はイベントが開始してから四日目で、ちょうど翌日が休日となる日なので、昨日までをを軽く凌駕する人が会場には溢れている。
ただでさえ、昨日までの営業でも、人気のあるメニューの食材ストックが、途中で終わってしまう事態が発生し、それを見越して、今日は少々やり過ぎなんじゃないかと思う程度の補強増強を施して来たわけだが、それすらも既に危ういという。
『どうする?達真さんに連絡する?』
「いや、したところで多分向こうも手は離せないだろう。仕方がない、順次打ち切りにしていくしかないな」
飲食サービスの基本として、メニューに表示しているものは営業開始から終了まで、きちんと提供してしかるべきで、材料が切れたから出せません、なんてことは客をナメている人間のすることだ、というのが、達真叔父の信条らしく、概ねその意見には賛同できるのだが、今この瞬間、現実としてどうにもならない場合には、その信条も曲げざるをえない。
「明日明後日はこれ以上に仕込み量増やすべきなのか……?」
『正直しんどい』
作業の手を休めること無く、しかし間髪入れずに端末に返事を叩き込む暁子の謎の練度に軽く驚愕しつつ、彼女の言うとおり、これ以上の仕込み量増加はかなり厳しいだろうな、と思案する。いまこの場で提供しているのは、パスタとソーセージ類、いくつかのフリッターと、二人で考案した鶏肉の煮込み料理だ。
このうちで、商品の性質上、毎日仕込みをしなければならないのが煮込み料理とフリッターのタネで、どちらも丁寧な処理がキモになる。
要するに、人手が圧倒的に不足しているこの現状では、どうやっても作れる限界というところが出てきてしまうのだ。
(こりゃ達真叔父さんもやりたがらないわけだ)
麻雀の負け代として、ここへの出店を強制させられたらしいが、逆を言えばそうまでしないと達真叔父には参加する気がなかったということだ。
この街でのオクトーバーフェストは数年前に始まったイベントらしいが、開催初期から参加の打診はされていたらしい。
今まではその誘いをのらりくらいとかわしてきたが、ついに今年、引導を渡され、こうしてヒイヒイ言う羽目になっている。
実際ヒイヒイ言ってるのは達真叔父ではなく俺たち、いやもちろん一人で屋敷の方を回している達真叔父もヒイヒイ言っているに違いないが、こうなることがわかっていたのなら、事前に脅かしておくくらいのことをしてくれてもよかったのではないか、と、恨み事が頭をよぎる。
『あー、煮込み終わった』
「了解っと」
窓に貼り付けたメニュー表をとりはずし、一応作っておいた「完売」のアイコンを、煮込みが書かれた部分に上に貼り付ける。
「しかし、よく売れるな……」
『売れてるってことはみんな美味しいって思ってくれてるんじゃない?』
パスタもフリッターも、達真叔父のレシピに従って作っているが、この鶏の煮込みは俺と暁子が考えたオリジナルのレシピだ。
それが一番に無くなるというのは、彼女の言うとおりそれなりに評価されているということなのか。
屋敷の店とは違い、客席が遠いために、客が漏らした料理の評価を聞くことはできず、またこのようなイベントで出される料理に、わざわざ感想を伝えにくる奇特な輩もいないため、実際のところはわからないが、悪い気はしない。
「寒くなってきたから、単に温かい料理を欲しがってるだけかもしれんがな」
『やっぱ蒼はちょっとひねくれ過ぎじゃないかな……』
*
煮込み料理のストックが切れてから、一時間と少し経つと、だいぶ夜も深まり、他のメニューも完売するモノが出てきたためか、店の前に並ぶ人の数もまばらになって、なんとか俺一人でもこなせるよう状態になったので、一度暁子に休憩をするように言うと、
『あざーす』
などと、普段は確実に使わない文面で返事をして、勝手口から外に出て行った。
「あんまりうろちょろするなよー」
と、果たして彼女に聞こえたのかどうかは定かではないが、一応忠告の言葉を投げかけて、作業台の前に戻る。
そうして何人かの客の注文を消化すると、本日の営業開始から初めて客足が途切れた。
(やっとか……)
基本的に飲食業は客が来れば来るほど利益が出る業種である。
忙しいことは歓迎すべきことであり、資本主義経済を採用しているこの国に生きている以上、経済活動において利潤を出すことは至上命題とも言える。
とは言えしんどくなるほど忙しいというのも考えもので、昨今話題になっているQOLなんてものからすればもってのほか、と言ったところだろう。
そもそもここで儲かったとして、その利益は企業、つまりこの場合事業主たる達真叔父の儲けとなるわけで、給与を貰う立場でもなんでもない俺たちにとっては、忙しければ忙しいだけ体力を消耗するだけ、と考えることもできる。また俺の場合、幸か不幸かここで給与を与えられずとも、特に困らない程度の資産がある。
もちろん、だからといって手を抜きたいわけでも、達真叔父に文句があるわけでもないが、もう少し穏やかにやりたい、と思うのは贅沢な考えだろうか。
(……まぁ、煮込みがよく売れたのはよかったが)
先ほど暁子とその話をした時は、なんともなしに悪い気はしないとしたが、どちらかと言えば嬉しいと感じているところが大きい。
料理には人柄が出る、とは誰の言葉だったか。ともかく、こうして即時的な結果を得ることができたというのは、自分が空虚な人間ではないと、心地の良い幻想を抱かせてくれるようで。
もちろん半分は暁子の頑張りがあるわけなので、総てが総て、空森蒼という人間の得た結果と言えないのだが。
「――――――空森さん?」
そんなことを考えて居たからだろうか、不意にかけられた声を、一瞬幻聴ではないかと疑ってしまう。
いや、きっと幻であってくれと、瞬時に願っていたのだろう。
故に、その声の主を視認した時、脱兎の如く逃げ出すことも、頑として他人のフリを決め込むこともできなかったのは、我ながら痛恨の失態であったと思う。
「………………」
「あの、空森さんですよね?」
歳の割に幼い顔つきで、丸い目に戸惑いを浮かべて再び問いかける女性を見て、絶句する。
その小さな体躯と、なぜかいつも震え気味の声色は、記憶にある中のそれとまったく変わらず、逆に少しだけ伸びたくせっ毛気味の色素の薄い髪だけが、この土地に来てからの半年と少しという時間の流れを物語っている。
「――――どうやってここがわかったんです?」
「いえ、久しぶりに休みが取れたので冬服でも買おうかとたまたま来てただけで……」
目を覆うようにして手を当て、天を仰ぐ形で、偶然という名の神の所業を呪う。
いやむしろ、人間の才覚だの自分に対する評価だなんだとグダグダとしたことを、ここのところ考えてばかりいたが故に引き寄せてしまったのか。
オカルトじみた話は嫌いではないが、あまり信用しない身としても、この時ばかりは信じてしまいそうになる。
「あの、空森さんっ、そのですね」
「ちょっと待ってください。……見上げたまま話すってのも具合が悪いでしょう、逃げずにそちらに降りますから、待ってて下さい。――――刈谷さん」
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