著者 鹿野月彦
  • なし
# 14

最終回:ハニーレモンタルト【後】

「ねえ、ケイ」
 私はそう言いながら、ケイの反応を待たずに左手で彼女の腕を優しくつかんで引き寄せる。
「私のこと、好き?」
 胸のあたりにケイの手を導いていく。ゆるく握ったこの手ですら、彼女にとっては強固な鎖になりえる。ケイは何の疑いも持たずに私の目をまっすぐ見据え、いつもの調子でこう言った。
「ああ、好きだよ。メグミといると、いつもとっても楽しいんだ」
 ああ、違う。違うの、ケイ。私が求めているのは、あなたのそれとは決定的に違う。私はそのままケイの体を引き倒していく。
「ありがと。私も好きよ」
 ゆっくりと後ろに倒れて行って、そのうちケイが私に覆いかぶさるような形になった。
「あ、あの。メグミ?」
 戸惑うケイを置き去りにして、私は続きの言葉を紡ぐ。
「でもね、ケイ。私の好きはね、愛してるの好きなの」
 ケイの頭を抱え込むように手を回して、耳元で囁く。ふるり、と小さくケイの体が揺れて、漏れ出すような吐息が聞こえる。白いケイの耳と首筋が、ほんのりと薔薇色に染まっていくのがわかった。
「あい、してる……?」
 普段あれほどかっこいいケイが、まるで幼子のようにあどけない声でそう呟く。その様子がどうにもいじらしくて、私の心臓をくすぐった。
「うん、そうだよ。愛してる。ケイのこと、そういう意味で好きなの」
 へ、と気の抜けるような声。不安と羞恥が滲み出ている目で見下ろされるのは、正直悪くない……だなんて浮かれた言葉が頭の片隅に浮き出て泡のように弾ける。
「……本当に?」
 心ここにあらず、といった様子で熱に浮かされたようにそう呟くケイ。それが本当に可愛らしくて、私は狂ってしまいそうになる。
「なぁに、疑ってるの?」
「疑ってなんか、いないけど。でも、信じられなくて」
「……どうして?」
「だって、私は男じゃない」
 苦いコーヒーを無理やり飲み込むような苦しげな顔をして、ケイは言う。
「私は、どうやったって女なんだ。男にはなれない。いくら男のように振る舞おうとしたって、結局男の真似事にしかならない。中途半端なんだよ。私はどうあがいても女なんだ、メグミ。だから……」
「ちがうよケイ」
 ケイの言葉を噛みつくように遮った。その先は言わせない。聞きたくない。
「男だからとか女だからとか、そんなの関係ないの。ケイがケイだから好きなの。それを勘違いとか気の迷いとか、そんな言葉で片付けようとしないでよ」
「……でも」
「でもじゃない」
 私はケイの手をさらに引き寄せる。力が抜けきっていたケイの体はいとも簡単に崩れ落ち、私の左隣に転がる。私とケイは添い寝をするように見つめあう形になった。
「私ね、初めて人を好きになったの。ケイと一緒にいるのがどんな時間よりも楽しくて、幸せだった。ケイが友樹のことを好きだって知って、二人が結ばれなきゃいいのにって思った。私の方がケイを幸せにしてあげられるって、誰にも渡したくないって思った。ねえ、信じられる? 今までは、誰に求められても、誰に見捨てられても構わなかったのに。ケイのことだけはそう思えなかったの。これでもこの気持ちは間違いだったって、そう言えるの?」
「……メグミ」
「私はね、ケイが男の人みたいだったから好きになったんじゃないよ。かっこいいだけじゃなくて、かわいいケイも好きだよ」
 手を伸ばしてケイの頬を撫でる。もう片方の手は、ゆるく握ったままだ。この手を離してもケイは逃げない、そう確信しているけれど。私はケイの手を離さなかった。
「ねえ、ケイ? ここまで聞いてもまだ疑ってる?」
「疑ってるんじゃ、ないよ。でも信じられなくって……」
 浅い呼吸を一つ。ああ、ケイ。あなたは誰よりも大人のフリをしているのに、誰よりも純粋な子供なのね。
「じゃあ、証明してあげる。私の好きがどんな形をしてるのか、教えてあげる」
 そう言い捨てて、私はケイの首元に手を伸ばし、服のボタンを外していく。驚いた様子のケイは、ぴくりと体を小さく跳ねさせた。
「あ、あの、め、メグミ……?」
「黙って」
 戸惑いながら開かれたケイの唇を、自分のもので塞ぐ。勢いに任せて、私はそのままケイの上に覆いかぶさるような形になった。
「ケイ、私の好きはこういう好きだよ。ケイの全部が欲しいの」
「まっ、まって! だめっ……」
 そういう割に、ケイはされるがままになっている。体は震えていたけれど、これと言った抵抗もなかった。口ではだめだなんて言っているけれど、ケイは私の手を振りほどこうともしない。
「だめ、なの? 嫌じゃなくて?」
「ふ、ぅ。んっ……」
 私の問いかけに、ケイは押し黙る。ケイは私を拒絶しない。それはきっと、傷つけたくないから。嫌だと言ってしまえば、私が傷つくと思っているから。ケイは優しすぎるから、こんなことをされても受け入れてくれている。私はそれがわかっていながら、こうして彼女の優しさに付け込んでいる。ひどい話だ。そう思いながらも、私は彼女を蹂躙するのをやめられない。
「め、メグミ……」
 戸惑う彼女を無視して、私はその体を押し倒して唇に噛みつくようなキスをした。体格差があるとはいえ、ケイも女の子だ。少し体重をかければ、力の抜け始めた体は簡単に私の下敷きになった。驚きと不安の混ざった声が漏れるのも気にせず、私は彼女にキスをしながら胸に触れた。
「ひ、あ、んんっ……!」
 ケイの体が電撃に撃たれたかのように小刻みに跳ねはじめる。友達だと思っていた女にこんなことをされて、きっとわけもわからず戸惑っているのだろう。可哀想に。けれど、私は知っている。彼女が抵抗しないことを。本当に嫌だったら、私を跳ね除けることも蹴り飛ばすこともできるはずなのに、彼女はきっとそうしない。だって、ケイは優しいから。どんなにひどいことをしたって、彼女は私を傷付けたりなんかしない。私はそのまま彼女の服をはぎ取っていく。
「……やっぱりかわいい。良く似合ってる」
「そんな、こと、な……!」
 私はできるだけ優しい声で彼女の耳元に囁きかける。彼女の大切な部分を守るように纏わりついている真っ白な下着。それが彼女のふっくらとやわらかい体をより美しく見せていて、とってもおいしそうだと思った。彼女は全身を羞恥で真っ赤に染めながら、私を見つめている。ぞわぞわと甘い痺れが私の体を包んでいく。たまらなくなって、私は彼女のふっくらとした胸を撫でながら、首筋にキスをする。
「は、はずかし、い! な、んでっ」
 息も絶え絶えに訴える彼女を黙らせるように唇にまたキスをして、愛撫を続けていく。苦しげに体を震わせる彼女が可愛くて、その体を押さえつけてさらに快楽を与える。
「ん、んんっ」
 普段のケイからは想像もできないくらいに甘くとろけそうな声が漏れ出す。ケイが体を捩れば捩るほど、服が乱れてその下の柔らかな肌が露わになっていく。乱れた純白の下着の下でケイの柔らかな肌が歪むのが最高に刺激的だった。
「あは、ケイ……これ着けてきてくれたんだ。嬉しい」
 ケイの腕を拘束するようにして、じっくりとその柔らかな丘を眺める。何も言わずに見惚れていると、ケイは涙目になった目を伏せた。彼女自身も知らない羞恥にとろけた顔、それを見せたくないのだろう。だが、逆効果だ。その仕草はかえって彼女の色気を強調し、私の心臓は興奮のあまり大きくうねるような鼓動を響かせた。
「う、うぁ。だって、メグミが着てって言ったから」
 顔を真っ赤にしてケイはそう言った。見ないで、と言うように顔を背けるケイが本当にかわいい。
「……かわいい、かわいいよケイ」
 耳元でそう囁けば、ケイは目に涙を浮かべてまた甘い声をあげた。私はむしゃぶりつくように彼女の胸元に顔を埋め、その柔らかな肌に口づけを落とした。初めて会った時より少しだけ伸びてきたケイの髪が、肩をさらりと流れていく。
「ねえ、ケイ。私、ケイのこと愛してるの。楽しいことして笑ってるケイが好き。かわいい物を見て目を輝かせるケイが好き。甘い物が好きなかわいいケイが好き。かっこいいのもかわいいのもなんだって似合うケイが好き。実は照れ屋で臆病なケイが好き。誰よりも優しいのに、誰よりも自分に優しくできない不器用なケイが好き。ありのままの、そのままのケイが好き。全部、全部好き」
 熱い息を吐き出すようにして、心を堰き止めていたものが壊れていく。こんなことをしておいて、今更愛を乞うなんて矛盾している。けれど、私のものにしたい心も、彼女を解放したい心も、どちらも私の中で同じくらい燃えている。両立しようだなんて、とても傲慢で我儘だと思う。でも、もう止まらない。
「だからね、ケイ。私、ケイには我慢してほしくないの。強くなくていいし、かっこよくあろうとしなくていい。自分で自分のことを殺さないで欲しいの。そんな苦しい思い、もうしてほしくない。そのままのケイでいてくれないかな、できれば……私の……隣で……」
 言い終える頃には、ケイはもう大粒の涙を零して泣いていた。それは、今まで見たどんな涙よりも美しかった。ケイの涙は宝石のように煌めきながら頬を伝っていった。
「……どうして?」
 振り絞るようにして届いたそれは、まるで迷子の子供のような戸惑いの声だった。
「どうして、そんなこと言うの。だって、皆そうじゃなかった。かっこいいのが好きだって、みんな言った。父さんだって、強くなれって、いつも言った。と、友樹だって! 可愛いのは似合わないって、そういったんだ。だから」
 今までケイを縛ってきた言葉がゆっくりとほどかれていく。ひとつひとつの何気ない言葉でさえも、彼女を縛り付ける縄の一部になっていたのだ。長い時間をかけてきつくきつく縛られたそれは、ケイの心に絡みついて離れなくなっている。
「……苦しかったよね。勝手に『私』を決められるのは。誰かがそういうものだって決めつけた型にはまり続けなきゃならない。それって、やっぱり苦しいよ。無理だよ」
 女の子だから。女の子なのに。らしくない。似合わない。そんな言葉を思い返す。言葉の呪いは深いところまで染みこんでなかなか消えない。私もそれは嫌と言うほどわかっていた。
「誰かがダメだって決めつけただけで、それを捨てる必要なんかないんだよ。自分を歪めようとする人たちに、合わせなくてもいいんだよ」
 私はケイの涙を指先で掬う。
「そのままの自分を受け入れてくれる人だっているよ、きっと」
 ケイはゆっくりと息を吸って、私の目を覗き込んだ。
「少なくとも、ケイは私にそうしてくれた。ケイは、私を救ってくれたんだ。だから」
 今度は私に、ケイを救わせてほしい。
「……なんで」
 ケイは熱にうなされるように呟き続けていた。
「わかんない、わかんないよぉ……メグミ……」
 ぽろぽろと涙を流すケイに、私はハッとして彼女を優しく抱きしめて頭を撫でた。
「ごめん、ごめんねケイ。ごめん、ごめん……」
 ケイはとても純粋な人だ。私が想像していたよりもずっとずっと真っ白だ。こんなにもぐちゃぐちゃになった感情をぶつけられて、どれほど戸惑ったことだろう。熱に浮かされて、私はとんでもないことをした。ケイ、ケイ、どうか私を許して。私を、嫌わないでいて。そんな思いすら、彼女の優しさに甘えてすがっていることには変わりない。私はどうすることもできずに、ケイの背中に弱弱しく触れて、彼女と共に泣き続けることしかできなかった。

 ……唇に、柔らかい物が触れる。私はその感触で、自分がたった今目を覚ましたのだと気づいた。ゆっくりと目を開くと、ケイの端正な顔がすぐ近くにあるのが分かった。これは、今、キスされている……?
「……んっ」
 柔らかな感覚がくすぐったくて、小さく声を漏らしてしまった。ケイはそれに気づき、はっとしたように顔を上げた。
「おはよ、ケイ……」
「お、おはよ……。あの、えっと! ち、ちが、違うんだ! これは! その、違うんだ!」
「……何が違うの?」
「えっと、その。考えたんだ。昨日。あんなことがあってびっくりしたけど。私は、メグミの事が好きなんだろうかって」
 ケイは自分の両頬を包み込むようにして押さえた。
「メグミのこと、きっと好きなんだと思う。私……。だって、私も、メグミと一緒にいたいって……思うし。でも、それがメグミの好きと同じなのかどうかはわからなくって。だから、その。昨日のメグミと同じことをしたら……分かるのかなって……」
 ケイの耳は真っ赤に燃え上っていた。
「それで? どうだった?」
 私は心臓が破裂しそうなくらいに脈打っているのを悟られないようにそう聞いた。
「……まだ、よくわからなかった」
「そっか……」
 落胆する私の心を掬い上げるように、ケイは続けた。
「だ、だからねメグミ。その。すぐに答えることはできないけれど。私の気持ちがちゃんとわかるまでは、一緒にいてもいいかな」
 ……どこまで優しいんだろう。この人は。こんなに優しくて、かっこよくて、かわいいなんて。反則だ。
「うん。いいよ、もちろん。ずっと一緒にいよう。ケイの答えが出るまで、いつまででも待つから」

 私達にとっての幸せが、どんな形をしているのかまだわからない。どこにあるのかもわからない。けれど、それでも。私達は自分の足で進む。自分の手で幸せを掴むまで。硝子の靴なんか必要ない。裸足で走っていけるなら、きっとそれでいい。

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