著者 麻路なぎ
  • なし
# 10

10 彼女の事情

 そわそわしている様子の松尾さんは、コートを脱ぎ黒いセーターを着ていた。昨日とは服装が違うように思う。
 かのんに気が付いた松尾さんは、一瞬驚いたような顔をしたがすぐに笑顔になって、

「こんばんは」

 と、静かな声で言った。
 かのんは彼女の様子をうかがいつつ、ゆっくりと言葉を続けた。

「こんばんは。あの、待ち合わせ、ですか?」

「えぇ、もちろん。でなくてはここに来ないもの」

 そう言って、彼女は目を細める。
 待ち合わせなら昨日もしていただろうに、なんで今日も彼女はここに来ているのだろう。

「あの、誰と、待ち合わせなんですか?」

「うふふ、それがね、夫なの」

 彼女は頬を赤らめて、幸せそうに笑いながら言った。

「夫、ですか?」

 それはおかしくないだろうか。
 昨日も一昨日も、彼女が会っていた男性はどう見ても二十代の青年だった。とても同世代にはみえない。

「えぇ。私を置いて先に逝ってしまったけれど。でもここに来たら会えると聞いてそれで私、ここに来たの。スマホが案内してくれると聞いて半信半疑だったけど、本当に教えてくれたのよ」

 松尾さんはとても嬉しそうに笑って言った。

「先に逝った……」

 それはつまり、夫は死んでいる、ということだろう。

「あの、失礼ですがいつ亡くなられたんですか?」

 その問いかけをしながら、かのんの鼓動は少しずつ早くなっていく。
 聞いてはいけない気はする。でも聞かないといけない。

「三か月ほど前よ。五十年連れ添って、先に逝ってしまったの」

 悲しげな声で言い、彼女は寂しげに目を伏せた。
 ということは、夫は七十歳を超えているはずではないだろうか。けれど彼女に会いにここへ来ている男性はどう見ても二十代だ。

「三か月……」

「それで私、すっかり気落ちしてしまったの。五十年よ? 五十年、一緒にいた人がふっと消えてしまって。子供たちにもたくさん心配をかけてしまったわ」

 五十年、というのは若いかのんにとって想像もつかない長さだ。
 そんな長い期間、一緒だった相手が死んだのはよほどショックだった、ということだろう。けれど死んだ人に会えるだろうか? そんなことありうるだろうか。
 何が何やらわけがわからなくなっていると、ドアが開く音が響いた。
 そこに現れたのは、昨日、松尾さんと話をしていた青年だった。
 彼は京介と会話を交わした後、こちらを見てそして、手を上げて笑った。
 そしてこちらへと近づいてきたあと、かのんには目もくれず、立ち上がった松尾さんの方を見つめて言った。

「こんばんは、島田行弘です」

「あぁ……こんばんは、しま……いいえ、松尾、奈々子です」

 まるで初対面であるかのごとく挨拶を交わしたふたりは、一緒に席に着く。
 かのんなどない者のように。
 その様子を見てかのんはふたりから離れて席に戻ると、ルカが話しかけてきた。

「どうだったの?」

「わけ、わかんなくなりました」

 かのんは腕を組み、眉間にしわを寄せて首を傾げた。

「あの、松尾さんは夫に会いに来たって。五十年連れ添った夫に。でもあの人、どう見ても二十代ですよね」

 言いながらかのんは松尾さんたちの方をちらり、と見る。
 どう見ても島田、と名乗った男性は老人には見えない。服装の違和感は昨日と同じだ。やたら柄の大きなセーターを着ているが、いったいどこで手に入れたのだろうか。

「そうだねぇ。どう見ても二十代だね。まあ死んだ人には会えないからねえでも」

 と言い、ルカは腕を組みかのんを見つめて意味ありげに笑う。

「でも想いがあればそういう奇跡も起こるかもしれないね」

「想いでどうにかなる話とは思えないですけど」

 呆れたように半眼でルカを見つめて、かのんは言った。
 ならば松尾さんは何故、死んだ夫に会いに来たと言ったのだろうか。京介は何かしっているだろうか。このカフェの秘密を。マスターなのだから何かしら知っているだろう。メニューを運んできたら聞いてみようか。
 そう思ったところに京介が奥から出てきてそして、かのんの前にお皿とカップを置く。
 クロワッサンに生ハムとチーズ、レタスを挟んだサンドウィッチがふたつもお皿にのっている。パスタの量が多いだけでなく、サンドウィッチも量が多いらしい。
 かのんは京介を見て、

「あの、マスター」

「……京介で、いいですよ。なんですか、かのん、さん」

 妙にとぎれとぎれだったが、そんなことを気にしている場合ではない。かのんは言葉を続けた。

「えーと、このカフェってなんなんですか?」

 そう問いかけると、彼は事もなげに答えた。

「想い出に会えるカフェ、ですよ。そう、入り口にも書いてあったでしょう」

 言われてみれば確かにそう書かれていた。
 けれどその想い出とはいったいどういう意味なのか、それが知りたいわけだが、京介の様子からして教えてくれる気がしなかった。

「このカフェって一度しか来られないって聞いたんですけど……」

 それはルカも言っていたことだ。二度も来るのは珍しいと。
 すると、京介は首を傾げた。

「そう、ですね。言われてみればそうかもしれないけれど、そうじゃないとも言える、かな。たまにいるはずだよ、何度も来る人が。そういう人が存在するはずなんだけれど、余り覚えていないんだ」

 なんとも曖昧な答えで気持ちが悪い。京介はこのカフェの秘密の鍵を握っているのだろうか。マスターなのだし彼が何かしら知っているのは当然かと思うけれど、もしかしたら全てを知っているわけではないのかもしれない。
 京介はかのんの顔を見て、意味ありげに微笑み言った。

「君はここに三回も来ているのだから、なにか意味があるのかもね」

 そう言われてみればそうだ。そもそもあのブログに書かれていたことは嘘なのかもしれない。
 店内を見回してみて、誰もが連れがいて誰もが幸せそうに語り合っている。
 松尾さんもとても楽しそうだ。それならばいいのだろうか。
 とはいえ、疑問はいくつも存在する。
 なぜ、昼間はこのカフェを見つけられないのか。
 なぜ、かのんはこのカフェに引き寄せられたのか。
 誰かがかのんを呼びよせた? けれどかのんを待つ人は誰もいない。
 このカフェの秘密、どうしたらわかるのだろうか。
 
 

 
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