著者 有沢楓
  • なし
# 1

第1話 伯爵令嬢には当て馬されてる時間はない

「つかぬことを伺いますが、あなたご本人かご親族に、貴族王族騎士団長、あるいはご高名な魔法使いや神官や商会の会長はいらっしゃいませんよね?」

 暖かな春の日。
 花々が咲き乱れ小鳥がさえずり、麗しい貴族のご子息ご令嬢が肩を並べて微笑み合う魔法学院の庭園――を見下ろす図書館塔の最上階の隅っこで。
 居心地の良い椅子で分厚い専門書に目を通していた黒髪の男子学生は、そのぶしつけな言葉を発した女子学生を見上げた。

 落ち着いた色味の服の上に羽織っているのは、魔法系学部の所属を示す金の縫い取りのマント。
 ラピスラズリのような青い瞳は真剣そのもので、とてもふざけているようには見えない。
 僅かに青みがかったグレーの髪に縁どられた彼女の白い頬は、だが自分の発した言葉への羞恥に、少し赤くなっていた。
 
「……どなたですか」

 男子学生のもっともな問い返しに、また頬が赤味を増す。

「し、失礼いたしました。私、魔法医学部第二学年のフランシス・ブロードベントと申します。
 法学部のレイモンド・ストウ様でお間違いないでしょうか?」
「そうですけど。何かご用ですか?」

 そわそわした様子の女性はそこそこ可愛らしい顔立ちだったが、男子学生は興味を示す風もなく、落ち着いた薄青の瞳でやや冷ややかな視線を返す。
 彼はフランシスと名乗った女学生を一瞥すると、また本に視線を戻す。

「あ、あの!」

 フランシスは人目をはばかるように周囲を見回す。彼女が5分前に確認した時と同じ――誰もいない、二人きりだ。
 図書館併設の塔は専門書が多く、学院から特別な許可証をもらった生徒しか出入りできない。それも最上階は魔法とは関係ない書物を並べてあるせいで、滅多に人が訪れない。
 意を決したように再び口を開く。

「それでは特殊な才能や隠している特技、はたまたご親族に竜や魔族の血が入っていたりは――」
「――いやそんなのないけど、何?」

 もう一度、レイモンドの目がフランシスを見る。
 不審者を見る目つきだったが、嬉しそうに胸元で手を握りしめた。

「良かった。それでは、結婚していただけませんか」
「……は?」
「我が家にそれほど財産はございませんが、ストウ様のくつろがれるお部屋と書斎、それから我が家の図書館も! お付けいたします」
「……何それ」

 前のめりになるフランシスにどん引いているレイモンドだが、彼女は気にした風もない。

「私、一人っ子ですので。受け継ぐ予定のものはストウ様との共有財産ですから。あ、爵位は私が継ぐ予定ですけど……」
「相続は分かったけど、そこまでする理由ってあるの?」
「それは勿論、無理に旦那様となっていただくのですから、可能な限り望みをかなえたく。……それで、結婚していただけませんか?」

 唐突な上にでたらめな告白に呆然としているレイモンドに、彼女は一歩近づく。
 その勢いに押され、レイモンドは立ち上がって、本を抱いたまま一歩下がった。

「いやそうじゃなくて、何で結婚って話になってるの?」
「婚約より結婚が強いからです」

 そんなカードゲームみたいに、とレイモンドが呟いたときである。
 部屋の扉をばーん、と開けて、一組の男女が入ってきたのは。



「――ここにいたのか、フランシス!」

 いや正確には女子学生が半歩先に部屋に入ってきて、金魚のフンのように着いてきた赤銅色の髪の男子学生が、勢いよく扉を開けたのだった。
 フランシスの顔が途端に、露骨にひきつる。

「……またあなたなのね、ヘクター」
「また、とはちゃんちゃらおかしいな。ここに来るのを知っていて待ち伏せしていたんだろう」

 髪と同色の瞳でフランシスを見据えきりっと指先を突き付けるヘクター。
 彼女と同じマントを羽織ってはいるものの、その下は流行の服を着こなしていて印象はまるで正反対だ。

「婚約者という立場を笠に着て、俺たちの逢瀬を邪魔しようと……」

 フランシスの表情が険しくなる。彼女の予測によれば、この聞くに堪えない言いがかりはあと三分は続くはずだった。
 が、その言葉を遮ったのは、ヘクターの前で立ち止まった可愛らしい金髪の女子学生だ。彼女は小動物のような緑の目を丸くして、手に抱えていた手提げ鞄を机に置いた。

「……フランシス先輩、奇遇ですねえ」
「私名乗った覚えもありませんし、厳密にはあなたと知り合いではないのですが……」
「……そうでしたっけ……?」

 しかしフランシスは、首を傾げている彼女の名前は知っていた。

「そうです。一方的ないちゃいちゃを見せられてきたせいで、お名前がキャロラインさんで一学年後輩、外国語文学を学んでいること、甘いものが大好きで特に苺のケーキに目がないことは知っていますが」
「そこまでご存じでしたらもう知り合いですね」

 にっこり微笑む彼女に邪念があるようには見えない。
 フランシスは射るようなヘクターの視線を無視しながら、キャロラインに続けた。

「それと、偶然ではないと思います」
「そうなんですか? えーと、ここには勉強にいらしたわけではない……となると、やっぱり待ち伏せ? なんでしょうか……」
「違います」
「では私かヘクター先輩にご用事があって?」
「どちらかと言えばヘクターの方が……だと思います」
「どういうことでしょう?」

 キャロラインは困ったようにヘクターを見上げ、ヘクターはそのキャロラインの肩を慰めるように抱いた。

「だから何度も言っただろう、キャロライン。婚約者の立場を利用して、真実の愛を阻むような行為をして楽しんでいるんだ。
 この前の塩入り卵焼き事件も、俺の家に突然訪ねて来たのも、先月学院のパーティーでキャロラインとドレスの色を合わせたのも」
「さすがにそんなことないと思いますけど……」
「君は純粋だから人の悪意が分からないんだ」
「……でもヘクター先輩が心配してくださるのは嬉しいです」
「キャロライン」
「ヘクター先輩……」

 見つめ合う二人。周辺にはお花畑の幻影が見えそうなほど甘い雰囲気が漂っている。
 フランシスはこめかみに手を当てて、わずかに感じ始めた頭痛に耐える。


 一方で、レイモンドは何の茶番を見せられているんだと呆れて、早々に退散しようと立ち上がった。
 後ろ髪を引かれながら貸出禁止の本を本棚に戻そうと歩き出せば、突然、横から腕が引かれた。
 フランシスだ。
 彼女は苛立ちを隠しもせず、今にもぶち切れそうな剣幕でレイモンドの腕を取ったまま、二人に――正確にはヘクターに対峙した。

「――違います!」

 思わぬ大声にヘクターとキャロラインはあっけにとられた。二人を囲む花畑の花弁は吹き飛び、甘い空気も四散してしまう。
 フランシスはそれほど、花畑は勿論図書館にもふさわしくない感情の渦を叩きつけていた。

「毎日毎日、大人しくしていれば――待ち伏せに尾行、濡れ衣を着せてどういうつもり?
 昼ごはんもゆっくり食べられない。課題の質問をしに研究室に行く途中でも、図書館でも割り込んできて、勉強の邪魔をして、いちゃいちゃイチャイチャ。
 ご両親から家にご招待を受ければ逃げ回って顔を合わせもしない。
 ……それなのに婚約を解消してくれないってどういうことなの?
 キャロラインさんの目の前で一度婚約を『解消したい』と言ったことはあるのに、『解消する』とは言わない。尋ねればうやむやにする。
 私、恋のスパイスのために存在しているんじゃないんですけど!」
「な、なにを……」

 二の句を継げないヘクターに、彼女は畳みかける。

「婚約は解消してくれるのですか?」
「婚約は両家の取り決めだろう? だから……」

 目が泳ぐヘクターを見て、フランシスは「これは駄目だ」と悟った。

「悲劇のヒーローを演じるなら家の中だけにしてください! 私が欲しいのはあなたの有責で婚約解消できる書類ですよ、書類!」

 息を吸うと最後通牒を突き付ける。

「本気でやろうとしたら両家の合意なんて要りません。いつの時代の法律です――いいですか、ストーキングも名誉棄損も婚約の不履行も、犯罪です。
 本気で婚約解消してくださらないなら、次は法廷でお会いしましょう!」


                   ***


「……突然申し訳ありませんでした」

 ストレスの頂点から一転、正気を取り戻したフランシスはレイモンドに頭を下げた。
 二人を挟む学生食堂のテーブルの上には、人気の毎日限定50セット・豚の塩釜焼定食が乗っている。
 時は午前11時。お詫びに食事をとしつこく追ってこられたレイモンドが、ならばと自分から学食に行って、以前より食べてみたかった品を注文したのだ。
 なお、自腹である。
 彼目線でのフランシスは挙動不審であり、お詫びだかなんだか、とにかく貸し借りを作って厄介ごとに巻き込まれるのは御免被りたい。

「ついでに目の前に座っているのも偶然ってことにしておく? それとも僕に対しての付きまといって認める?」

 それがフランシスとヘクターのやり取りへの皮肉であることに気が付かないほど、彼女も鈍感ではなかった。

「申し訳ありません」
「さっきのもそうだけど、何に対しての謝罪か分からないうちは受け入れられないね。まあ、さっさと帰ってくれるならどっちでもいいけど」

 小さな塩のドームにナイフを入れながら、レイモンドがちらりとフランシスを見ると……目をわずかに開いた。
 彼女の顔色は明らかに具合が悪そうだったから。

「……大丈夫?」
「ああ、いえ、体調も心も大丈夫ではありませんね。大丈夫でしたらあんなことを持ち掛けないので……」
「自覚はあるんだ――あ」

 ふらりと体を揺らし、テーブルに突然突っ伏した彼女に、レイモンドは慌てたような声を上げる。

「……あ、別に死んでません。ちょっと眠ったり食べたりしてないだけで……」

 フランシスは腕枕の下から弁解する。
 行儀が悪いことは百も承知だが、ここ一週間ほどろくに寝れていないのだ。

「さんざん邪魔されたおかげでレポートが全く進まない状況で、帰宅してから遅くまで勉強するしかなくて。食欲もあまりないですし……」
「……何か持ってこようか」
「ご迷惑をおかけするわけには……」
「そこで突っ伏されたり倒れられる方が迷惑。学院内では急病人に看護の義務が発生するし」

 レイモンドは席を立つと、すぐにセルフサービスのコーナーにある水とリンゴジュースを持って戻ってきた。

「飲めたら飲んで」
「……あ、ありがとうございます。フリードリンクの代金、お支払いしますね」

 フランシスはのろのろと体を起こすと肩に下げた鞄を探りかけたが、それをレイモンドは後にしてよ、と制した。

「先に飲んで」
「ではいただきます」

 ちびちびと舐めるようにリンゴジュースを飲む。
 真っ白だった頬がほんの少しずつ血色を取り戻していくことにレイモンドは安堵した。

「それで何についての謝罪だったの?」
「話せば長いのですが――」
「手短に言って。午後から講義だから」
「は、はい。つまりぶしつけに結婚を申し込んで、更に巻き込んで、というか、後をつけるのもそうですし、そもそも個人情報を調べるのも……不正な手段でないとはいえご不快かと」

 言いながら自分のしでかしたことを自覚して、フランシスの頭はまたテーブルに沈み込みそうになる。

「まあ、そうだね」

 沈んだ。
 が、これも迷惑だと思い返して彼女は背筋を何とか伸ばす。

「ご覧になった通り、ヘクターは私の婚約者なんです。親が勝手に決めた」
「それ、さっきも言ってたけど法律上は二人だけで決めるもので……」

 フランシスもよく分かっているというように頷いた。

「……私たち、幼馴染なんです。家が隣同士の付き合いで。なのでまだ若いとはいえ責任能力が発生した直後に契約書にサインをしていて」
「まあありがちかもね。悪徳商法もそういう時期を狙ってくるし」
「物心つく前から友人だったので、婚約後も変わらず接してきたようなものなんですけど、まあレポートで忙しいしこちらは現状維持でいいかと思っていたら……ヘクターが先のキャロラインさんに出会いまして。
 ヘクターは夢中になって……つまり、初恋をして暴走しているんです」
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