著者 夙多史
  • なし
# 22

梅雨のひととき

 雨粒が窓を叩く音を聞きながら、入梅水明いりうめすいめいは生徒会室の席で書類整理を行っていた。

「今年は梅雨が長いわね」
「そうですね」

 会長席で書類に判子を押していた青空遥あおぞらはるかの呟きに生返事を返す。天気予報だと明日も明後日も今週はずっと雨マークが続いていた。

「水明後輩、なにか嫌なことでもあったのかしら?」
「雨を全部僕のせいにするのはやめてくれませんかね、遥先輩」

 水明は自他共に認める雨男である。それはジンクス的なものではなく、気持ちが落ち込んでいればいるほど降水確率を上げてしまう一種の能力と言えるものだった。
 だが、雨ならなんでもかんでも水明のせいにされては堪ったものではない。

「最近のは自然の雨ですよ。僕の気分は良くも悪くもありません。普通です」
「私は気が滅入っているわ。雨ばかりでちっとも楽しいことがないんだもの」

 ぐでーっと会長席の執務机に突っ伏す遥。彼女は晴女である。無論、こちらもジンクスなどではない。気持ちが高揚していればいるほど晴天確率を上げる能力者だ。
 そんな彼女が気落ちしているもんだから梅雨前線は暴れたい放題である。

「平和でいいじゃないですか。それとも、また科学部辺りに問題を起こしてほしいんですか?」
「まさか」

 水明にとっては晴れだろうと雨だろうと構わない。
 学園に通い、授業を受け、生徒会の仕事をして帰る。天気がどうだろうと、特にイベントのないこの時期はそれを繰り返すだけの生活だ。

「あっ、科学部で思い出したのだけれど、八代さんからこんなものを預かっていたの」

 そう言って遥は執務机の下からゴム製の履物を取り出した。

「長靴、ですか?」

 疑問形なのは、全部がゴム製ではないからだ。ところどころにメカメカしい部品が装着されており、長靴というより鎧の一部と言われた方がしっくりきそうだ。
 遥は摘まんで持ち上げた長靴を差し出し、大きな胸を張る。

「ただの長靴じゃないらしいわ。なんとこれを履くと水の上を歩けるらしいのよ」
「どうしてうちの科学部は技術力だけ無駄に超先進国なんですかね。というか、それ長靴である必要性あります?」

 科学部の奇才――御試八代おためしやしろの発明品だという話だから本当なのだろう。以前も異世界の技術としか思えない自動人形ガーディアンを作ったりしていたくらいだ。

「ちょっと試してみたくなったわ。水明後輩、学園裏の池まで行ってみましょう」
「雨降ってますよ?」
「大丈夫。もう晴れたわ」

 窓の外を見る。あれだけ激しくノックしていた雨は退いており、雲間から太陽の光すら差し込んでいた。あまりにも不自然に晴れていく天気は――

「どんだけ楽しさのハードル下がってたんですか……?」

 晴女である遥のテンションが上がった証拠だった。

        ☂☀☂☀

 食菱学園の裏手には大きな池がある。
 生物部がコイやらカメやらを飼っているその縁に水明と遥は立っていた。雨はすっかり止んでいて池の水面は穏やか。繁殖した蓮の葉に水滴が溜まり、ちょこんと乗った小さなアマガエルがゲコゲコと鳴いている。

「長靴を履いて、このリモコンの青いボタンを押すと起動するみたいね」

 説明書を広げて使い方を確認する遥。こんな重々しい機械がついてて果たして浮くのか不安だった水明だが、科学的フシギナチカラが働くのだろうと諦め気味に納得する。
 そんなことよりもっと気になる疑問が一つ。
 
「なんでボタンが三つもあるんですか?」

 遥の持っているリモコンには青・黄・赤の三つのボタンが存在していた。

「さあ? 説明書にはなにも書いてないけれど、青が進む、黄が注意、赤が止まれ?」
「それは信号機です」
「まあいいじゃない。青で起動することはわかってるんだから」

 そう言って遥はリモコンの青いボタンを押下した。
 ブォン! と。
 彼女が履いている長靴から機械の駆動音が発せられた。なにやら風が巻き起こっている。その力で水面に浮くのだろうか? 

「すごいすごい! 本当に水の上を歩いているわ!」
「遥先輩、あまりはしゃがないでください!
「大丈夫大丈夫、これけっこうバランス取れるから!」

 水面に足をつけた遥は、一歩二歩と池の中心へと歩いていく。本当に沈まない。が、発明したのは科学部だ。いつなにが起こるかわからない以上、水明のハラハラは収まりそうになかった。

「あはっ♪ 次は黄色いスイッチを押してみましょう」
「あの、科学部の発明品ですよ? やめておいた方が……」

 楽しくなってきたらしい遥は、水明の忠告も聞かず調子に乗って黄色のボタンを押してしまった。

「わぁ! 見て見て水明後輩! 水面をスケートみたいに滑れるようになったわ!」
「いやホント気をつけてくださいよ遥先輩!」

 出力が上がったのだろう、遥はスケート選手のような華麗な動作で水面をスイスイ滑っていく。すごく楽しそうだが、やはり見ている方が怖い水明である。

「うふふ、最後の赤いスイッチを押すとどうなっちゃうのかしら?」
「やめましょう! 絶対マズいことになりますって色的にも!?」
「大丈夫大丈夫♪」

 ぽちっと、遥は赤いボタンを押してしまった。
 瞬間、長靴の底がジェット噴射。

「わわっ!? ちょ、わ、なにこれ待って止まってストップストォオオオオオップ!?」

 制御できなくなった遥は水面をジェットスキーのような勢いで走り回った。 

「きゃあああああああッ!?」
「遥先輩!?」

 彼女がバランスを崩して倒れたところに水明は飛び込む。盛大な水飛沫が上がったが、どうにか水明は遥の手からリモコンを引っ手繰って長靴を停止させることに成功。

「助かったわ、水明後輩。ありがとう」
「いえ……」

 水明は目を逸らす。びしょ濡れになった遥は、当たり前だが目のやり場に困る状態だった。スクールシャツが透けて水色と肌色が露わになっている。前にもこんなことがあった気がする。

「うへぇ、やだびしょびしょ」
「自業自得ですよ」
「また水明後輩に透けブラ見られちゃった。お嫁に行けなくなったらどうしてくれるのかしら?」
「そんなことでなりませんよ。というか、頭に蛙乗ってますよ?」
「えっ!? 嘘やだ!?」

 頭を払おうとした遥の手に驚いたアマガエルが――ぴょん! 飛び降りて彼女の制服の隙間に入り込んだ。

「いやぁあああ服の中に入った!? うひぃいいい気持ち悪い!? 取って!? 水明後輩取ってぇえッ!?」
「はあ!?」

 涙目で両手をバンザイにする遥。大きく膨らんだ彼女の一部分が否応なしに水明の視界を制圧する。破壊力抜群だった。

「いやでも……」
「いいから! 早く!」
「……わ、わかりました」

 水明はアマガエルを探すため仕方なく、本当に仕方なく遥の制服の隙間に手を入れた。
 探す。探す。探す。探す。探す。探す。柔らかい。
 探す。探す。柔らかい。探す。探す。柔らかい。探す。
 探す。柔らかい。探す。探す。柔らかい。柔らかい。探す。
 柔らかい。柔らかい。柔らかい。
 やーらかい。

「んんっ」
「変な声出さないでください!?」

 ビクンとこそばゆそうに痙攣する遥にドギマギしつつ、水明はやっとのことでアマガエルを捕獲した。

「取れましたよ」

 そっと池に放してあげると、アマガエルは何事もなかったかのようにスイーと泳いで行った。

「はぁ、死ぬかと思ったぁ」
「こっちのセリフです」

 陸に上がってぺたんと尻餅をつく遥に水明はげんなりと返す。

「蛙で取り乱すなんて……可愛いところもあるんですね、遥先輩」
「んな!? ぐぬぬ、水明後輩のくせに生意気な」

 からかわれた遥はぷくーっとほっぺを膨らませた。そんな仕草が年上なのに子供っぽくて可愛いと思いながら、水明はふと空を見上げる。

「拗ねないでくださいよ。ほら、見てください。虹が架かってます」
「あら本当。くっきり見えて綺麗ね」

 すっかり晴れた雨上がりの空には、七色の大きなアーチが鮮明に描かれていた。
 そうしてしばらく二人で虹を眺めていると、不意に遥が水明を見やった。

「水明後輩」
「はい?」

 濡れた髪を掻き分けて、彼女は満点の笑顔で告げる。

「きっと、明日もいい天気よ」
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